ただいま2007年7月30日午前4時前。
参議院議員選挙の大勢判明。
長らく政権を牛耳ってきた巨大政党・自民党の惨敗。
そしてその自民党に与し、選挙違反をしてまで集票する違法な宗教政治団体の上に乗っかって、左団扇でアグラをかいていた宗教政党・公明党も、予想をはるかに下回る大惨敗。
「投票による市民革命!」
ひとまずは、まぁ、実質的な長期独裁体制の牙城の一角を切り崩せたというところで、
「祝杯!!」ですかねぇ。
しかし・・・
さあ!
これからですね。
これからが、私たち市民としての国家・政府に対する新たなる責任のはじまりです。そうしなければ、新しい勢力・民主党にも裏切られる可能性がありますから。
民主主義国家の主権者、すなわち最高権力者は、私たち1人1人の市民なのです。いよいよ、私たち「市民」の出番がやってきました!
この国を牽引する新しい機関車は、いま、ゆっくりと動き出そうとしています。
停まっている機関車が動き出す瞬間には、最大・最高の力を必要とします。
しかし、一旦スピードに乗ってしまえば、ほとんど力は必要としません。
この新しい機関車が、出発時に最大・最高の力を発揮できるよう、そしてその後は暴走しないよう、事故を起こさないよう、脱線・転覆しないよう、行き先を間違えないよう、適切に運転し、適切にブレーキ操作をし、適切に信号を灯し、適切にポイントの切り替え操作を行う役目を、私たち市民は担わなければなりません。
いままでの古い機関車は、信号無視の暴走ばかりをして、機関車自体の重量が重過ぎてうまく走れずに、自らが走るべきレールを踏み潰し、迷惑な騒音が大きく、煤煙まみれで、運賃はベラボウに高く、そのうえ乗務員を何度も振り落としたり、ひき殺したりし、車止めには激突するばかりで、ブレーキの利かない、事故ばかり起こす「自公」という名の二重連の機関車でした。
こんどの新しい機関車は、どのような性能を持っているのか、単独の強力な機関車なのか、または、三重連・四重連になるのか、私にはまだわかりません。
しかし、いかなる機関車であっても、それが適切に、スピードと信号を守って、事故を起こさず、行き先を間違えることなく運転されるよう、常に監視し、常に注意を払う「運転司令室」の役目を、小さくても憲法を厳に守り、非戦・非武装の理念を守り、国民の生活と命を守り、壊れた社会を再構築できる志をもった政党と、私たち市民とで一緒に遂行してゆかなければならないと思っています。
機関車に牽引されている客車の乗客の数は優に1億を超えています。しかし運転司令室は、少数精鋭がいちばん。運転司令室の司令官が政治のプロの議員さんたちで、実際の機関車の運行状況を厳しく監視するモニター役は、私たち市民である支持者が引き受けましょうよ!
いまや、政治は議員に任せっきりの世の中ではありません。政党という政治のプロ集団と、その政治の下で日常生活を送っている私たち「現場」の1人1人の市民が、がっちりと手を結び合ってこそ、ほんとうの市民社会ができるのだと思います。政府は大きいほうがいい、でも政党は小さくて小回りの利くほうがいい!
7月の書き込みは、ほとんど選挙モードになってしまいましたが、8月からは、もう少し広い視野で思うところを書いてみたいと思っています。
次回の「これを言いたい!」(8月1日アップ予定)は、大きく趣をかえて、私の好きな古代ギリシアの詩を引用し、文化・文明と宗教とのありかたを見つめながら、いま中東地域をはじめとした世界のあちこちで起きている、宗教紛争解決の糸口はないものか? 私もひとつの信仰を持っている人間として、日々心に感じていること、考えていることを提案してみたいと思います。(了)
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いよいよ明日は、投票日ですね。
いま、全国の警察署には、選挙対策部局(マルセン)が設置されています。創価学会員の動きが「怪しい」「おかしい」と思えば、すぐにお近くの警察署(交番ではなくて本署)に相談や通報をしてください。
ちなみに、特定の政党支持者による投票所への連れ出し(投票所までの「拘束」と投票の「強制」)や、投票直前での特定政党や特定候補への投票要請や示唆、そして投票後に個人的に「どこの党に投票したのか」や「誰に投票したのか」または「ちゃんと○○党に入れてくれたのか?」「○○候補にいれたか?」などとを聞き出すこと(投票の秘密の侵害)も、立派な公職選挙法違反(しかしこれらは創価学会の常套手段なのです。私は以前に知人の創価学会員にこれをされました)で、ちゃんと通報すれば、警察はしっかりと対応してくれ、取り調べおよび場合によっては逮捕にも至ります。
おかしいと思えば、迷わず最寄りの警察署へTELです!
民主主義のルールを守らず、法律を犯してまで票を集めるような汚い事を平気でする宗教団体の人達は、どんどん警察に相談・通報しましょう。
巨大な組織悪に対しては、時々私たちの目の前に現れる小さな悪の片鱗(選挙違反など)を、1つ1つ摘みとってゆくことが、私たち一般市民にできる最善の方法だと思います。それが社会を良くし、健全な民主主義を推進するための、私達1人1人ができる唯一のことなのだと思います。
補足ですが、創価学会は、公安警察・公安調査庁の監視対象になっていたこともあることを、ここに明記しておきます(現在は公明党が与党になっているので、監視対象からは外されています)。
宗教活動のみに専念せず、その巨大な組織をフル稼動させ(選挙違反までして)選挙運動を行う宗教団体は、はたして「本物の」宗教団体なのでしょうか。
ちなみに、創価学会フランス支部は、フランス政府議会から正式にセクト(カルト)宗教団体として認定され、フランス政府の厳しい監視下におかれており、その活動は厳しく制限され、現在、ほぼ壊滅状態に陥っています(典拠:フランス政府議会による公開議事録 "Les sectes en France N.2468, Assembl 'Ee Nationale Rapport ."より)。(了)
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ゆうべ、沖縄の夢をみた。
つらい夢だった。
夢でよかった。
沖縄の惨劇。。。私は戦争体験もないし、沖縄へ行ったこともない。
だから、記録類や体験者のナマの証言、映画やドラマなどで、その悲劇の片鱗を追体験することしかできない。
沖縄の人たちの心をくみ取ることが、この国を平和へ導くための1つの道だと思う。
目がさめて、久しぶりに、森山良子さんのCD、
『さとうきび畑』を聴いてみた。
「ざわわ」「ざわわ」「ざわわ」
やっぱり、涙があふれてくる。
これを聴くと、いつも理由なく泣けてくる。
とてもチカラのある曲、チカラのある詩、チカラのある歌。
私がいちばん泣ける歌は、この「ざわわ」
私がいちばん好きな歌は、「琵琶湖周航の歌」
私がいちばんチカラをもらえる歌は、ヴェルディのオペラで歌われる「祝杯の歌」
いま、2週間に1回の通院を続け、先の見えない療養生活をしている。
毎日7種類の薬を飲んでいる(今年3月までは2種類だった)。
ずいぶんと(10Kg近く)やせた。 このダイエットはちと嬉しい(笑)
生活は苦しい。でも、絶対に負けない!
「Never, Never, Never, ... Never Give Up! 」(Sir Winston Churchill)
(絶対に、絶対に、絶対に、絶対に諦めちゃいけない!)
「投票による市民革命」への賛同の拍手、ありがとうございます。
とっても、とっても嬉しいです!
かつて、「●●党をブッ壊す」と「改革」「改革」と唱えて豪語し、人気を博した人と、その人たちに寄り添って暗躍跋扈した宗教政党は、「改革」の名のもとに、実際には、社会秩序と市民生活、そして年金問題や閣僚の失言などでは、市民から国家・政府に対する信頼、すなわち「国家・政府の信頼性」「国家の品格」までをも「ブッ壊して」しまった。
そしてこんどは、『憲法』をブッ壊し、「平和」をブッ壊わそうとしている。
『日本国憲法』における最大・最高の「誓い」である、第9条の「非武装・戦争放棄」。これは世界に例のない、人類史上初の、最も「美しい」条文だ。その第9条の崇高なる誓いをも、彼らはブッ壊そうとしている。いったい、それのどこが「美しい国」なのだ!
もう、これ以上「ブッ壊」わされてたまるかっ!
日本人は、喜怒哀楽を余りあからさまにしない、という奥ゆかしさがある。それが日本人の美徳であり、すばらしい民族性でもあると思う。
しかし!
しかし、時には「本気で」怒らなければならない!
私たちの子や孫が、戦場で人を殺すことのないよう、戦場で人から殺されることのないよう、いまこそ、私たちは本気で怒らなければならない。
なぜなら、彼らは、私たち、そして私たちの子や孫の「いのち」までをもブッ壊わそうとしているからだ。
殺してしまってからでは遅すぎる。
殺されてしまってからでは遅すぎる。
いまこそ、本気で怒って、怒りの1票を投じる時!
「その時」が来ているのではないか。
もう、これ以上「ブッ壊」わされてたまるかっ!
今度は、私たちが、彼らを「ブッ壊」す番だ!
私たちは「1票」という最強の武器を携えて、
いざ、投票へ!
いざ、投票による「市民革命」へ!
近頃、テレビのCMや新聞、そして広報などを見ていると、やたらに「改革」だの「改革断行」だの「改革推進」だの、果ては「改革のアクセル役」などというコピーが目立つ。
しかし、その「改革」で、私たちの生活はどうなったのでしょうか?
格差が広がり、社会は分断され、モラルは低下し、疲れ果ててボロボロになったのではないでしょうか。崩壊寸前なのではないでしょうか?
いま、この社会が求めているのは「改革」ではなくて「革命」ではないでしょうか?
市民による革命・・・投票による「市民革命!」
私たち市民が持っている、国家を動かす最大最高の権力、すなわち「投票権」を駆使して、「改革」「改革」とお題目のように唱える「きな臭い」そして「線香臭い」人たちを退け、いまこそ新しい人たちが必要なのではないでしょうか?
新しい人たち・・・憲法(とりわけ第9条)を厳に守り、非戦・非武装を誓い、平和を愛して戦争に反対し、人権を擁護し、格差を解消し、社会の懐を深く豊かにする人たち。西欧のような懐の深い社会民主主義による市民社会に一歩でも近づくために、一所懸命に働いてくださる人たち。そのような人たちと、私たち市民とが一丸となって、一緒に新しい市民による市民のための社会をこの国に樹立する「その時」が、いま、まさに到来しているのではないでしょうか?
7月29日は、投票による市民革命の日。
私も「革命家」として、1票を投じます!
日本史上初の(あまりにも遅すぎましたが)市民革命。
「7月革命!」
そうではありませんか?
賛同してくださるかたは、拍手を!(笑)
ひと月に、2〜3回書き込むつもりで始めたこのブログですが、ナンヤカンヤで、すでに5回も書き込んでしまいました。で、今回は6回目。ちょっと小難しいお話しです。ごめんなさい。そのかわり次回の「これを言いたい!」(8月1日掲載予定)は、とても「詩的」でとてもステキなお話しにします。
さて本題。
『日本国憲法』で、第9条(非武装・戦争放棄)や第20条(信教の自由)、第21条(表現の自由)ほどには注目されていませんが、私には、たいへんこだわっている条文があります。それは第98条です。その原文は、
第98条 [憲法の最高法規性と条約の遵守]
(1)この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。
(2)日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
とあります。この(2)でいう「締結した条約及び確立された国際法規」というのは、いわゆる『国際法』のことです。『国際法』という名の法律が存在するわけではありませんが、国際的な条約や、国際的に大きな影響を及ぼす取り決めなどを総合して、法律用語で『国際法』と名づけているのです。
『国際法』と呼ばれるものには、例えば『国連憲章』や『世界人権宣言』『国際人権規約』『国際難民条約』、それから戦争時のルールを決めた『ジュネーブ諸条約』及びその『追加議定書』などの、たくさんの条約や憲章、規程(規定)、国際的な取り決めがあります。
『日本国憲法』では、第98条でまず「この憲法は日本国最高の法規だ」と宣言し、そのすぐあとで間髪を入れずに「国際法を誠実に守りなさい」と定めているのです。この「最高法規宣言」の直後に「国際法遵守」の義務を述べているところに、憲法上での国際法遵守義務の重要性があります。
西欧諸国では『国際法』に関する最低限の基礎については、自国の憲法と同様に義務教育で習うそうです。しかし日本では、大学へ行っても、専門に法律を専攻しなければ『国際法』という名前すら知らない、という人がほとんどです。
なぜでしょうか?
そしていままで、日本政府は『国際法』を守ってきたのでしょうか?
その答えは、いままで日本政府は『国際法』をあまり守ってきたことがないのです。ですから国民に『国際法』の存在が知られるとマズイ(政府の「悪どさ」が国民に知られてしまう)ので、国民には、わざと教えない。いまの政府による「国際法を国民に教えない教育」というのは「国策教育」でしょう。これでは、全うな国際社会の一員だとはいえませんね。
とくに最近の日本政府には国際法違反が多く、国連を大激怒させたことすらあるのです。近年のいくつかの例を以下に示します。
【その1】
2003年にイラク戦争がはじまりました。これは、アメリカによる先制攻撃ではじまったものです。しかし『国連憲章』では「先制武力攻撃」を厳しく禁じています(『国連憲章』第1条の4)。またアメリカ軍は、イラクの市街地を空爆しました。しかし『ジュネーブ諸条約(追加議定書)』では、文民(一般市民の)保護を規定し、これに対する攻撃は厳しく禁じています(『第1追加議定書』第51条)。ですから市街地空爆などはもってのほかです。さらにアメリカは、クラスター爆弾や劣化ウラン弾など、人体と環境に著しい悪影響と後遺症を及ぼす兵器を使用しましたが、これも『ジュネーブ諸条約(追加議定書)』では、人体と環境に必要以上に悪影響を及ぼし、苦痛を与え、後遺症を残すような兵器の使用は禁止しています(『第1追加議定書』第35条など)。さらにアメリカは、捕虜に虐待をしていることも暴露されました。これは『ジュネーブ諸条約(追加議定書)』での捕虜の取り扱いに関する規定(『第1追加議定書』第44条、『第2追加議定書』第4条、同第5条など)はもちろんのこと、『世界人権宣言』(第5条から第9条)や『国際人権規約』(「A規約」第5条、「B規約」第5条、同第7条、同第10条など)にも違反していることです。
これらの、数々のアメリカの卑劣な蛮行、悪行三昧については、ブッシュ大統領を国際刑事裁判所(ICC)へ告訴し、彼に終身刑を課そうということが、いまEU諸国内の多くの法学者たちによって調査・検討されています。ブッシュはいま、これをいちばん怖がっているとのことです。
このようにアメリカは、ことごとく国際法に違反ばかりしているのです。そのアメリカの国際法違反の手助けをしたのが、日本の自衛隊です。日本政府は、国際法違反者であるアメリカからの要請で自衛隊を派遣しました。けっしてイラクや国連からの要請ではありません。「国際法に違反しているアメリカの要請で」自衛隊はイラクへ行ったのです。これは明らかに「国際法違反幇助」(つまり同罪)ですね。よって自衛隊派遣は、国際法違反であるばかりではなく、憲法第9条はもちろん、第98条にも、あきらかに違反しています。
【その2】
日本は、ビルマ(ミャンマー)の現政権にODA(政府開発援助)を供与し続けてきました。私たち日本国民の税金から莫大なお金を提供してきたのです。しかし現ビルマ(ミャンマー)政権は、非合法に政権を奪い取った軍事独裁政権で(その結果、ノーベル平和賞を受賞したスーチーさんが軟禁されたままです)、国際法上「正統な政府」とは承認されていません(『条約に関する国家継承ウイーン条約』に則っていない)。日本政府は、国際法で認められていないビルマ(ミャンマー)の軍事独裁政権に、私たちの税金からODAという巨額の資金の提供をし、間接的にスーチーさんらへの迫害の手助けをしてきたのです。日本からビルマ(ミャンマー)軍事政権への「ODA」という名の資金供与は、国際法の精神に真っ向から反しています。それは即ち憲法98条にも違反していることになります。
【その3】
2005年1月に、日本政府に保護を求めていたクルド人難民が、日本政府によって強制送還されました。このクルド人は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が正式に難民であると認定していた人です。国連機関が認定した難民を、日本政府は強制送還してしまったのです。ではなぜUNHCRがこのクルド人を難民に認定したかというと、その理由は簡単です。彼は帰国すると暗殺されてしまうからです。それを日本政府は、有無を言わさず、UNHCRの決定を無視して、彼を彼の国へと強制送還してしまったのです。
『国際難民条約』には、"ノン・ルフールマン"という国際的大原則があって、それは「難民が自国に送還された場合、生命の危険にさらされる可能性がある時には、その難民の命を守るために、けっして送還してはならない」という国際的な大原則なのです(『難民の地位に関する条約』、いわゆる『国際難民条約』第33条に基づく原則)。
しかし日本政府はその国際原則を無視して、すなわちUNHCRの決定と『国際難民条約』を無視して、彼を強制送還してしまったのです。さすがにUNHCRは、この日本政府の非人道的な国際法無視のやりかたに激怒し「日本政府はあきらかに国際法違反を犯した。これは前代未聞の蛮行だ」と、日本政府のこの措置を国際社会全体に向かって声明を発して非常に激しく、厳しく非難・追及しました(UNHCR Press Releases 18 January 2005, etc.)。これほどまでにUNHCRが激怒したことは、いまだかつてない。とのことだそうです。
日本政府のしたことにUNHCRが激怒するのは当たり前です。日本政府のしたことは、国家による殺人的行為なのですから。それはあきらかに『国際難民条約』違反であり、すなわち憲法98条違反なのです。
このように、最近の事をみても、日本政府は『国際法』に何度も違反してきました。すなわち何度も憲法98条に違反してきたのです。そして、挙げ句の果てには、国連機関であるUNHCRを、いまだかつてない程に大激怒させたのです。
このように国連機関を大激怒させておきながら、日本政府は、国連安保理常任理事国になりたいなどと言ったのです。恥知らず・恥さらしです。日本政府は、国際社会上で日本国民に恥をかかせないでいただきたい。
最後に、『国家責任に関する暫定条文草案』(国連国際法委員会第53会期採択)の第1章第1部第1条(すなわち、しょっぱな)では、「国家のすべての国際法違法行為は、その国家の国際責任を課す」と厳しく断じています。つまり、日本国の国際法違反の責任はすべて日本国にある(いかなる言い訳も許さないぞ)と、『国際法』は厳しく断罪しているのです。
これらの、日本政府による国際法違反の悪行三昧をじっと見つめていると、
(1)国際法はおろか、憲法すら守れないから、その憲法を守る能力がないから、最初から憲法など守る気がないから「自分たちが守りやすいようにレベルを下げて、憲法を劣化させたもの」に変えようとしている、のでしょうか。
(2)そして、アメリカ社会の軍産複合構造に倣って、日本も、戦争をすることによって、日本国内の大規模産業に利益を誘導し、他国の利権を奪いたいがために、いまの憲法を「戦争ができるように」変えようとしている、のでしょうか。
まさに、アメリカの「軍産複合体」という狂暴かつ醜悪な社会構造への「右へ」倣えですね。これらの政府の悪事を見ていたら、上記の2つの本音が透けて見えてきます。
戦争は「絶対悪」です。
イラク開戦の時、米英首脳そして日本政府首脳も、口を揃えて言いました。
「犠牲者は最小限に」と。
しかし、本来は「1人の犠牲者も出してはならない」はずです。いかなる人間にも、たとえそれが一国の首相・大統領であっても、彼らに「人を殺す権利」は、与えられていません。彼らは、いつ、誰から、どこから、どのようにして「人を殺す権利」を手に入れたのでしょうか?
彼らにはその説明責任があり、贖罪義務があります。彼らは殺人者です。殺戮者です。戦争の別名は「大量殺戮」以外のなにものでもないのですから!
『国連憲章』で「先制武力攻撃」を厳しく禁じているのは、「全ての国家が先制攻撃を仕掛けなければ、戦争になる筈はない」という理念からなのです。そして『国連ユネスコ憲章』は、次の言葉ではじまります。
「戦争は、人の心の中に生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築かなければいけない」
憲法を変え、国民の心の中に「私たちは戦争もできるんだぞ」という意識を芽生えさせようと企む政党・政治家は、絶対悪そのもの、悪の権化と言えるでしょう。(了)
【参考とした資料】
1.『六法全書 2003』三修社 2002
2.『解説 条約集』三省堂 2003
3.「UNHCR Press Releases: 18 January 2005」UNHCR, Genve, 2005
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台風の被害に遭われたかたがたへ。
地震の被害に遭われたかたがたへ。
悲しくも、大切な尊い命を失われたかたがたのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
ご遺族のかたがたには、心よりお悔やみを申し上げます。
怪我を負われたかたがたには、1日も早いご回復を、心よりお祈り申し上げます。
被災されたすべてのかたがたにお見舞い申し上げ、1日も早く、日常を取り戻され、すばらしい復興を遂げられることを、心よりお祈り申し上げます。
すべての人たちが幸福でありますように!
そして、もし戦争が起これば、私たち一人一人が、もっと悲惨な光景を、まのあたりにすることになるでしょう。
戦争が起こりませんように!
わたしたちが、戦争を起こしませんように!
すべての人たちが幸福でありますように。
心を込めて。
祈りを込めて。
一人の信仰者として。
Pllas Tritogeneias Masahiro Thorii(鳥居正宏)
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一昨日(2007年7月16日)の掲載記事で「緊急告知」として報告させていただきました、公明党支持者(創価学会婦人部)による選挙違反(戸別訪問)についての追加情報をお知らせいたします。
大阪府警察本部ならびに私の居住地(大阪市内某区)の所轄警察署も、ともに「調べる」との判断を下した(「組織的・計画的にやっている可能性もある」とのコメントもした)事をうけ、昨日(2007年7月17日)、私が以前から何かとお世話になっている、毎日放送局報道部にも、この公明党支持者の選挙違反(戸別訪問)についてと、これに関する公明党大阪府本部の無責任なコメントについての情報を提供しました(ニュースとして、取りあげてもらえるかどうかは、まだわかりませんが)。
選挙違反は、民主主義の根幹にかかわる重大事、民主主義そのものに対する全否定の行為です!
正義に反し、法を犯してまで集票して権力を手中におさめ、そうして憲法を変え、この国を、戦争をする国にしようと目論む社会悪・組織悪を、私は絶対に、断じて許せません!
私は、現憲法と平和を愛し護り通すと決意をした市民として、かかる社会悪・組織悪に、強い怒りを感じています!
どうかみなさんも「くちコミ」「ブログコミ」でのご協力を!
【追記1】
2007年7月22日追記。
創価学会は、地域の隅々にまで組織網を張り巡らせている全国組織ですので、選挙違反(戸別訪問)の一件について、念のために昨日(2007年7月21日)警察庁へもメールで通報しておきました(もちろん、大阪府警察本部にも、私の住んでいる地域所轄の警察署にも、そして今回の警察庁にも、その婦人部の居住地と実名は示しています)。
公明党を支持しない市民には暴言を吐き(私は、その婦人部に「あんたは勉強不足や、もっと勉強しなさい」と怒鳴りつけられるように捨て台詞を吐かれたのです)公然と選挙違反を行って集票する宗教団体は、いかがなものか。
なお、大阪府警に問い合わせた結果、すでに捜査に着手したということです。
選挙まであと1週間です。創価学会員も激しくうごめくことでしょう。
いま、全国の警察署には、選挙違反捜査担当部局が設置されています。創価学会員の動きが「怪しい」「おかしい」と思えば、すぐにお近くの警察署(交番ではなくて本署)に相談をしてください。
ちなみに、特定の政党支持者による投票所への連れ出し(投票所までの「拘束」と投票の「強制」)や、投票直前での特定政党や特定候補への投票要請や示唆、そして投票後に個人的に「どこの党に投票したのか」や「誰に投票したのか」または「ちゃんと○○党に入れてくれたのか?」「○○候補にいれたか?」などとを聞き出すこと(投票の秘密の侵害)も、公職選挙法違反になります(これは創価学会の常套手段です)。
おかしいと思えば、迷わず最寄りの警察署へTELです!
民主主義のルールを守らず、法律を犯してまで票を集めるような汚い事を平気でする宗教団体の人達は、どんどん警察にしょっ引いてもらいましょう。
巨大な組織悪に対しては、時々私たちの目の前に現れる小さな悪の片鱗(選挙違反など)を、1つ1つ摘みとってゆくことが、私たち一般市民にできる最善の方法だと思います。それが社会を良くし、健全な民主主義を推進するための、私達1人1人ができる唯一のことなのだと思います。
なお、公明党支持者(創価学会婦人部)による選挙違反についての、7月16日、18日およびこの22日の3件の告発記事は、大阪府選挙管理委員会ならびに警察とも確認をし「その内容は事実を公表しただけのものであり、特定の政党や候補者などへの攻撃・運動妨害にはあたらないことから、選挙違反(選挙妨害)にはならない」と保証をしていただいておりますことを、ここに明記しておきます。
【追記2】
2007年7月28日 追記。
創価学会本部のドメイン(pxy1.soka.jp)およびその類似ドメインから、2007年7月27日までに、繰り返し頻繁に、このブログへのアクセスがあったことが、このブログを管理しているFC2サーバおよび外部のドメイン専用検索サーバによって判明いたしました。
大阪府選挙管理委員会ならびに警察とも相談し、このブログの安全および現実生活上でも、創価学会会員による不当・違法な妨害・暴力行為から私の身の安全を守るために、このブログでの上記関連ドメインからのコメントやTBは禁止(サーバーレベルでの排除)措置をとるとともに、私の携帯電話から、警察署の担当部署刑事への直通の電話番号も教えていただき、登録いたしました。
違法行為を行う構成員の居る巨大宗教団体には、毅然とした対応をさせていただきます。
また、補足ですが、創価学会は、公安警察・公安調査庁の監視対象になっていたこともあることを、ここに明記しておきます(現在は公明党が与党になっているので、監視対象からは外されています)。
しかし、正々堂々と、宗教精神に則って宗教活動をしない宗教団体は、オウムとそっくりです。
それから、創価学会は、フランス議会から、正式にセクト(カルト)宗教団体として、国家の監視下におかれ、その活動は厳しく制限されています(EUレポート。フランス議会公開議事録より)。
テーマ:参院選 - ジャンル:政治・経済
緊急告知です。
公明党支持者による選挙違反の告発です。
本日(2007年7月16日)、PM8時前。うちの近所の創価学会の婦人部のかた(1名)が、うちに訪ねてこられ(戸別訪問)、公明党への支持をお願いされました。
しかし、私は、公明党の政策にはあまり共感を抱いていない旨を申し上げ、丁重にお断りしようとしたところ、その婦人部のかたは、さらなる猛烈な公明党のアピールをするとともに、池田大作氏の「すばらしさ」も猛烈にアピールされ、公明党はその池田氏の作った政党なので素晴しいという、宗教と政治運動とを混同した、ハチャメチャな発言を猛烈に繰り返しました。
余りにもしつこいので、私は態度を改め、毅然とした態度で「公明党は支持しません!」とキッパリと断ったのですが、その婦人部は、私に対して「あなたは勉強不足や、もっと勉強しなさい」との捨て台詞を吐いたうえ、強引に「関西公明ジャーナル」という公明党のパンフレットを置いて帰られました。私とその婦人部との口論は、約30分にも及びました。
私は、これはおかしいのではないかと思い、その婦人部が帰ったあと、すぐに大阪府選挙管理委員会へ電話をし、上記のいきさつを述べたところ、選挙管理委員会のかたは「戸別訪問は選挙違反です。警察にご相談なさってください」とのご教示をしてくださいました。
そこですぐに、私は大阪府警察本部と、私の住んでいる地域(大阪市内某区)所轄の警察署に電話をし、上記のいきさつを述べたところ、警察は「調べます」と言われました。
また、公明党大阪府本部にも苦情の電話をしたところ、その返答は、「個々の支持者の行為については、党としては、いかんともしがたい」というものでした。
上記の選挙違反(戸別訪問)は、その創価学会婦人部の人間が個人的にしているのではなくて、おそらく「創価学会」という巨大な公明党の支持組織ぐるみ、その末端の地域組織ぐるみで、組織的かつ計画的に行われているものと思われます。
警察は調べると言いました。
このような、宗教団体における違法な政治活動は、絶対に許せません!
選挙違反を犯してまで政権にしがみつこうとする政党の根性は、宗教精神とはほど遠いものがありますね。
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「より良いものを、より安く、より早(速)く」といえば、産業(生産者)にとっては、消費者に対する至上命題です。また、私たち消費者の立場からすれば、これ以上の「いいこと」はありません。
ですから消費者は、ひたすら「より良く、より安く、より早(速)く」を産業に求め続け、産業は、ひたすらこの消費者のニーズに応えつづけた上で、さらなる利益を上げようと、まさに「死に物狂い」でフル稼動しています。
しかし、はたして、これでよいのでしょうか。
ウエールズ在住の英国人の友人(40歳代前半の男性。会社員)は言います。
「良いものは、良いものだからこそ、高価で厳選された高品質な素材を用いて、プロの手によって時間をかけて丁寧に製造される。だから、良いものを手に入れようと思えば、高価でしかも時間がかかるのは当たり前でしょう」と。
英国人(の彼)にとっては「ほんとうに良いものは、高価でしかも時間をかけ、苦労して手に入れるべきもの」というのが「あたり前の常識」なのだそうです。続けて彼は言います。
「アメリカ型自由資本主義経済社会(以下、アメリカ型資本主義社会と略述)の構造は、いつか必ず破綻する。なぜなら、それは、消費者も産業も、ともに際限なく自己の利益だけを追求するという、即ち双方が双方の利益を食い潰し合うという相反する矛盾を孕んでいるからだ。より良いものをより安くより早(速)く、という消費者の際限のない欲望・要求に対して、産業がそれに際限なく応じ続ければ、産業は必ず疲弊し、国家の産業構造そのものが消費者の要求の重みに耐え切れなくなって歪みをきたし、破綻・破滅するという事は目に見えているではないか」と。
アテネ在住のギリシア人の友人(30歳代後半の女性。弁護士兼大学講師)に、「日本では、残業をすることが当たり前のような風潮です。残業しないほうが珍しい。労働者のストライキなど、もう何十年もありません。それに、いまでは宅配業者が土・日・祝日も受け取り人の時間指定に応じて荷物を配達してくれる。また、24時間年中無休のコンビニエンスストアが街中のいたるところにあります」という話をすると、
「クレイジー。こちら(ギリシア)では、一般企業はもちろん、街の小さな商店や市営の交通機関や国鉄、そして裁判所までも、毎年何日間もストライキで閉鎖になるのよ。夜と休日にはしっかり休業するわ。それが民主主義社会での全ての労働者(公務員も含む)の根本の権利だと私たちは考えているわ。24時間年中無休なんて、気が狂っているわよ」
と言い、続けて、
「あなたたちは、いったい何のために働いているの? あなたたちの人生は何のためにあるの? あなたたちは働くためだけに生まれてきたの? あなたたちにとっての幸せは過酷な労働と際限のない消費だけなの? あなたたちは、自分の生涯のうちに与えられている限られた時間というものの大切さ、素晴らしさをわかっているの?」
との、矢継ぎ早の質問攻めにあい、答えに困りました。
金儲け(消費者にとっては蓄財と消費)だけを最大最高の価値観とする、今の日本社会の根本原理となっているアメリカ型資本主義社会の構造、この社会の価値観、この社会のありかたそのものが、西欧型社会民主主義経済社会(以下、ヨーロッパ型社民主義社会と略述)の、社会保障と利益配分をバランスよく統制された社会の中に生きている彼ら彼女らからみれば「クレイジーで、歪んでしまい、疲れきって、破綻している、過酷で狂った労働社会」とみえているのかもしれません。
私たちの日本社会には、もっと「余裕」が必要なのではないでしょうか。治安の悪化、政治家や官僚・経営者の使命感と責任感の欠如、モラルの低下、政界を揺るがす金銭トラブル、現役閣僚の自殺、偽装された粗悪商品の流通・・・。
すべては「金さえ儲かればそれで良し」という風潮。これらは、アメリカ型資本主義社会構造そのままの日本社会に、西欧諸国のような「余裕」がないことが根本原因となっているのではないでしょうか。そういえば、アメリカは世界一の凶悪犯罪大国であり、世界一の差別と格差の社会ですよね。
私たちは、アメリカを「自由と民主主義」の国だと思い込んでいます。しかしアメリカの「自由と民主主義」は、主として白人のためだけの「自由と民主主義」であって、多くの黒人や原住民の人たちは、いまだにその恩恵を充分には享受していません。差別と格差に苦しんでいます。そしてその白人のためだけの「自由と民主主義」も、その内実は世界最大の軍事力と強大な経済力(軍産複合構造、つまり、戦争をすればアメリカ国内の産業が儲かるという社会構造)の上に乗っかった、すなわち「カネと暴力」の上に乗っかった「自由と民主主義」なのです。アメリカ社会の構造はこのようなものなのです。
明治維新以降、戦前までは、日本は英国やドイツの社会規範に学んできました。それに、英語教育も英国式英語でした。それが戦後、全てがアメリカ一辺倒になってしまった。英語教育もアメリカ式の英語教育にすべてが変わってしまったのです。
いま日本で「英語」といえば、アメリカ式の粗野でルーズで俗っぽい歪んだ泥臭い発音の英語です(そのアメリカ式の汚く歪んだ発音の癖を、日本人は「流暢」だとバカげた勘違いをしている)。英国式の洗練された美しい「Queen's (King's) English」を教えている学校が、いまの日本にどのくらいあるでしょうか。現代日本人の習う英語が、アメリカ式一辺倒だというのは、嘆かわしい限りです。現在、世界で流通している英語の7割以上は、英国式英語だというのに。
閑話休題。
大きく視点をかえてみましょう。夕張市の財政破綻と東京都の一人勝ち。はたしてこれが「ひとつの国家」の体を成していると言えるのでしょうか。
どの地域に生まれても、国民としての平等な社会保障が受けられることを、国家が国民に保障することこそが、全ての国家の根本的な責任であるはずです。この国家の責任を明確にし、実行しているのが「大きな政府」であるヨーロッパ型社民主義社会なのです。
ヨーロッパ型社民主義社会の発想である「大きな政府」は、国民の(とくに社会保障の)権利を国家が責任を持って保障しています。アメリカ型資本主義社会の発想である「小さな政府」は、国民一人一人に対して「自分たちの権利は自分たちの力(金)で守れ。全てはおまえたちの自己責任だ。いちいち国に頼らないでくれ」という、無責任極まりない発想なのです。だから「小さな政府」では、ありとあらゆる場面で「格差」が生じるのです。
繰り返します。
アメリカは、世界一の犯罪と差別と格差の社会です。
そのアメリカの社会構造を、いまの日本政府は「理想」としているのです。「美しい国へ」と言いながら、「暴力とカネのチカラ」の上に乗っかっている醜悪なアメリカ社会を、いまの日本政府は「理想」としているのです。
人は、生まれてくる地域を選べません。今後、たまたま、夕張に生まれてくる子は不幸で、お金が余っている東京に生まれてくる子は、幸運だというのでしょうか。
再び繰り返します。
夕張が破綻し、東京にはお金が余っている。これで1つの国家だと言えるのでしょうか。
私たち日本社会は、このままひたすらに、ガムシャラに、全速力で「もっと良く、もっと安く、もっと早(速)く、もっと、もっと、もっと、もっと、もっとぉーっ・・・」と、アメリカ型資本主義社会の構造に引きずられ続け、そうしてボロボロになって、国家破滅への道を突き進んでしまっていいのでしょうか。
私たちの日本社会が、このままアメリカ型資本主義社会の構造に乗っかっていては、行き着くところは(たとえどんな大義名分・錦の御旗を振りかざそうとも、その本音は)金儲けのための戦争。自己の利益のためには他者を滅ぼし利益を奪う。という、絶対に犯してはならない最悪の罪を犯してしまう結果しか、残されていないのではないでしょうか。(了)
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片山哲首相
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このブログをはじめるにあたって、はたして、何から述べたら良かろうか?
やはり、国家存立の根幹たる、憲法の話題から始めることを諒とされたい。
私が最も好きな日本史上の政治家は、片山哲氏である。
それは「尊敬」というよりも、自分の「オヤジ」のような親近感を抱いている。
彼が世を去ったのは1978年だから、私が11歳の時である。彼と私が共に生きた期間は少々重なってはいるが、私にはリアルタイムでの彼に関する記憶はほとんどない。
片山哲氏は、第46代内閣総理大臣である。日本国憲法下初の内閣で、衆参両院から満場一致(衆議院:投票総数426票中、422票獲得、参議院:投票総数207票中、205票獲得)で首班指名され、国民からも圧倒的な支持(内閣発足当初の支持率68.7%)を得て誕生した、社会党中心による、社会民主主義連立政権での首相である。昭和22年4月27日にこの内閣は誕生した(ちなみに4月27日は私の誕生日でもある)。日本史上、西欧型社会民主主義政権は、いまのところ、後にも先にもこの片山内閣だけである。
彼に関する文献や古い新聞記事、そして片山内閣時代の国会会議録等を読んでみると、私は片山哲という「ひと」に益々惚れてゆく。人道主義・平和主義者であり、護憲論者でありながら、自身とは相反する意見にも丁寧に耳を傾けて真剣に思いを馳せる。「人のいい」人である。ときに、その人のよさがマイナスとなって、政治的決断に遅れ、屑鉄ならぬ「ぐず哲」とあだ名されたりもした。じつに人間味溢れるキャラクターではないか(皮肉にも、彼のこの「真摯に聞く耳をもつ人のよさ」が、彼の内閣をたった9ヶ月という短命に終わらせた遠因ともなったのだが)。
この、新憲法下におけるはじめての内閣発足時の片山の施政方針演説を読んでみた。終戦後の、どん底の社会の現実を真っ直ぐに見据えた、実直で重量感があり、素直に心に響く演説である。昨今のハッタリと抽象的表現に終始する軟弱な演説とは比較にならない。「凄み」のある言葉の群(ムレ)である。そこには国家再建にむけた並々ならぬ決意と悲壮な覚悟が読みとれる。
片山首相はその演説の本論冒頭で次のように語る。
「第一に申し上げたい点は、憲法に対する政府の信念であります。政府は新憲法を嚴に守りまして、その精神を生かすことに最も忠実であることをここに誓うものであります。(拍手)特に新憲法のもつておりまする民主主義の大精神、平和主義の大理想、これを政府は一切の政治行動の大目標として掲げたいと考えておるのであります。これを大膽明快に現実化いたしたいと考えておるのであります。」
そして最後に、
「われわれの道は、耐乏と苦難の道でありまするが、しかしながら、われわれの前途には光明と希望が輝いておるのであります。(中略)救國のために、明日の光明をもたらすために、全國民諸君の心からなる御協力を望んでやまない次第であります。私はこれをもつて終ります。」(※註:中略は鳥居がしたもの)
と締めくくっている。議場は、割れんばかりの大拍手と歓声に包まれたそうである。
いま、私たちは、この憲法発足時の「国家の誓い」を、忘れてはいないだろうか?
最近「今の憲法は、もう時代に合わない」という言葉を耳にするが、私は、歴史(歴史社会学)を専門に学んできた者として、それは大間違いであると思っている。私は「憲法が時代に合わなくなったのではなくて、時代が、社会が、憲法の精神に合わせようとしなくなった」と認識している。よって、改めるべきは憲法ではなく、社会であると考える。「憲法を改める」のではなく、社会を「憲法の精神に合致した社会」に変革してゆくべきではなかろうか。
私たちの日本国憲法は、世界中、他に例を見ない「徹底した平和主義(非武装・戦争放棄)を根幹とした、人道主義・民主主義(主権在民)」の誇り高き憲章である。人類普遍の最も崇高なる理念を高らかに謳い上げた「世界で最も美しい」法典である。その精神は、人類希求の理想を謳ったものであり、すくなくともあと百年は、このままで安心である。
昨今の政府が「百年安心」と大言壮語しながら、何の理念も持たず、たった数年で破綻した社会保険システムとは大違いである。
しかも、いまの憲法は、けっしてGHQから一方的に押し付けられたものではない。終戦後、新憲法起草にあたっては、日本国民からの数次にわたる草案が提出されている。有名なものでは、鈴木安蔵らによる3次にわたる草案があり、この鈴木らの案のもととなったものには、さらに溯ること明治期に及んで、自由民権運動期に起こされた植木枝盛の「東洋大日本國國憲案」や、立志社による「日本國國憲按」などがある。現・日本国憲法の条文は、これらの草案の影響を大きく受けているのである。
温故知新。
戦後、私たちの国を世界に冠たる近代国家に成長せしめた、この私たちの日本国憲法。その発足時の「国家の誓い」である片山首相の施政方針の原点に、すべての政治家はもちろん、私たち市民も、いまいちど立ち返る必要があるのではなかろうか。
まだ私が学生時代であった20年前に購入した『片山内閣史論』という文献を、いま再び読み返している。片山内閣については、短命に終わってしまったことと、我が国の歴史上、後にも先にも例のない西欧型社会民主主義政権であったために、その評価が難しく、なかなか総論的に述べた文献は少ない。また、いわゆる五十五年体制から、こんにちに至るまで、アメリカ型資本主義の価値観に席捲されている現代社会の中においては、片山内閣の西欧型社会民主主義政権の評価は不当に低い。
翻って、片山は語る。「私がここで特に国民諸君におねがいしたいことは、危機突破のために、それぞれの分に応じて犠牲を甘受して頂きたいということである」(片山哲「国民に訴う」昭和22年6月2日 NHKラジオ放送)。
いま私は「数年にわたる闘病生活とその結果としての経済的逼迫」という、これまでの人生最大の危機に見舞われている。そしてこの危機突破のために、犠牲を甘受している。
閑話休題。
片山はつづけて言う、「われわれの前途はなお苦難の道であるが、しかし光明を約束されている道である」(同「国民に訴う」)と。
私も、前途はなお苦難の道であるが、病気完治という光明を信じてやまない。
あまりにも長く、そして(あの時代の空気を表現したいがために)あまりにも硬派な文体になってしまった。次からは、もっと短く「軟らかく」纏めることにしよう。(了)
【参考となる資料】
1.木下 威『片山内閣史論 −連立政権問題を中心に−』法律文化社 1982
2.朝日クロニクル『週刊20世紀(1947・昭和22年号)』朝日新聞社 1999
3.「1-衆-本会議-8号 昭和22年07月01日(国務大臣 片山哲 施政方針演説)」
(国会会議録検索システムより。左欄リンク参照)
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