このブログをはじめるにあたって、はたして、何から述べたら良かろうか?
やはり、国家存立の根幹たる、憲法の話題から始めることを諒とされたい。
私が最も好きな日本史上の政治家は、片山哲氏である。
それは「尊敬」というよりも、自分の「オヤジ」のような親近感を抱いている。
彼が世を去ったのは1978年だから、私が11歳の時である。彼と私が共に生きた期間は少々重なってはいるが、私にはリアルタイムでの彼に関する記憶はほとんどない。
片山哲氏は、第46代内閣総理大臣である。日本国憲法下初の内閣で、衆参両院から満場一致(衆議院:投票総数426票中、422票獲得、参議院:投票総数207票中、205票獲得)で首班指名され、国民からも圧倒的な支持(内閣発足当初の支持率68.7%)を得て誕生した、社会党中心による、社会民主主義連立政権での首相である。昭和22年4月27日にこの内閣は誕生した(ちなみに4月27日は私の誕生日でもある)。日本史上、西欧型社会民主主義政権は、いまのところ、後にも先にもこの片山内閣だけである。
彼に関する文献や古い新聞記事、そして片山内閣時代の国会会議録等を読んでみると、私は片山哲という「ひと」に益々惚れてゆく。人道主義・平和主義者であり、護憲論者でありながら、自身とは相反する意見にも丁寧に耳を傾けて真剣に思いを馳せる。「人のいい」人である。ときに、その人のよさがマイナスとなって、政治的決断に遅れ、屑鉄ならぬ「ぐず哲」とあだ名されたりもした。じつに人間味溢れるキャラクターではないか(皮肉にも、彼のこの「真摯に聞く耳をもつ人のよさ」が、彼の内閣をたった9ヶ月という短命に終わらせた遠因ともなったのだが)。
この、新憲法下におけるはじめての内閣発足時の片山の施政方針演説を読んでみた。終戦後の、どん底の社会の現実を真っ直ぐに見据えた、実直で重量感があり、素直に心に響く演説である。昨今のハッタリと抽象的表現に終始する軟弱な演説とは比較にならない。「凄み」のある言葉の群(ムレ)である。そこには国家再建にむけた並々ならぬ決意と悲壮な覚悟が読みとれる。
片山首相はその演説の本論冒頭で次のように語る。
「第一に申し上げたい点は、憲法に対する政府の信念であります。政府は新憲法を嚴に守りまして、その精神を生かすことに最も忠実であることをここに誓うものであります。(拍手)特に新憲法のもつておりまする民主主義の大精神、平和主義の大理想、これを政府は一切の政治行動の大目標として掲げたいと考えておるのであります。これを大膽明快に現実化いたしたいと考えておるのであります。」
そして最後に、
「われわれの道は、耐乏と苦難の道でありまするが、しかしながら、われわれの前途には光明と希望が輝いておるのであります。(中略)救國のために、明日の光明をもたらすために、全國民諸君の心からなる御協力を望んでやまない次第であります。私はこれをもつて終ります。」(※註:中略は鳥居がしたもの)
と締めくくっている。議場は、割れんばかりの大拍手と歓声に包まれたそうである。
いま、私たちは、この憲法発足時の「国家の誓い」を、忘れてはいないだろうか?
最近「今の憲法は、もう時代に合わない」という言葉を耳にするが、私は、歴史(歴史社会学)を専門に学んできた者として、それは大間違いであると思っている。私は「憲法が時代に合わなくなったのではなくて、時代が、社会が、憲法の精神に合わせようとしなくなった」と認識している。よって、改めるべきは憲法ではなく、社会であると考える。「憲法を改める」のではなく、社会を「憲法の精神に合致した社会」に変革してゆくべきではなかろうか。
私たちの日本国憲法は、世界中、他に例を見ない「徹底した平和主義(非武装・戦争放棄)を根幹とした、人道主義・民主主義(主権在民)」の誇り高き憲章である。人類普遍の最も崇高なる理念を高らかに謳い上げた「世界で最も美しい」法典である。その精神は、人類希求の理想を謳ったものであり、すくなくともあと百年は、このままで安心である。
昨今の政府が「百年安心」と大言壮語しながら、何の理念も持たず、たった数年で破綻した社会保険システムとは大違いである。
しかも、いまの憲法は、けっしてGHQから一方的に押し付けられたものではない。終戦後、新憲法起草にあたっては、日本国民からの数次にわたる草案が提出されている。有名なものでは、鈴木安蔵らによる3次にわたる草案があり、この鈴木らの案のもととなったものには、さらに溯ること明治期に及んで、自由民権運動期に起こされた植木枝盛の「東洋大日本國國憲案」や、立志社による「日本國國憲按」などがある。現・日本国憲法の条文は、これらの草案の影響を大きく受けているのである。
温故知新。
戦後、私たちの国を世界に冠たる近代国家に成長せしめた、この私たちの日本国憲法。その発足時の「国家の誓い」である片山首相の施政方針の原点に、すべての政治家はもちろん、私たち市民も、いまいちど立ち返る必要があるのではなかろうか。
まだ私が学生時代であった20年前に購入した『片山内閣史論』という文献を、いま再び読み返している。片山内閣については、短命に終わってしまったことと、我が国の歴史上、後にも先にも例のない西欧型社会民主主義政権であったために、その評価が難しく、なかなか総論的に述べた文献は少ない。また、いわゆる五十五年体制から、こんにちに至るまで、アメリカ型資本主義の価値観に席捲されている現代社会の中においては、片山内閣の西欧型社会民主主義政権の評価は不当に低い。
翻って、片山は語る。「私がここで特に国民諸君におねがいしたいことは、危機突破のために、それぞれの分に応じて犠牲を甘受して頂きたいということである」(片山哲「国民に訴う」昭和22年6月2日 NHKラジオ放送)。
いま私は「数年にわたる闘病生活とその結果としての経済的逼迫」という、これまでの人生最大の危機に見舞われている。そしてこの危機突破のために、犠牲を甘受している。
閑話休題。
片山はつづけて言う、「われわれの前途はなお苦難の道であるが、しかし光明を約束されている道である」(同「国民に訴う」)と。
私も、前途はなお苦難の道であるが、病気完治という光明を信じてやまない。
あまりにも長く、そして(あの時代の空気を表現したいがために)あまりにも硬派な文体になってしまった。次からは、もっと短く「軟らかく」纏めることにしよう。(了)
【参考となる資料】
1.木下 威『片山内閣史論 −連立政権問題を中心に−』法律文化社 1982
2.朝日クロニクル『週刊20世紀(1947・昭和22年号)』朝日新聞社 1999
3.「1-衆-本会議-8号 昭和22年07月01日(国務大臣 片山哲 施政方針演説)」
(国会会議録検索システムより。左欄リンク参照)
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