「より良いものを、より安く、より早(速)く」といえば、産業(生産者)にとっては、消費者に対する至上命題です。また、私たち消費者の立場からすれば、これ以上の「いいこと」はありません。
ですから消費者は、ひたすら「より良く、より安く、より早(速)く」を産業に求め続け、産業は、ひたすらこの消費者のニーズに応えつづけた上で、さらなる利益を上げようと、まさに「死に物狂い」でフル稼動しています。
しかし、はたして、これでよいのでしょうか。
ウエールズ在住の英国人の友人(40歳代前半の男性。会社員)は言います。
「良いものは、良いものだからこそ、高価で厳選された高品質な素材を用いて、プロの手によって時間をかけて丁寧に製造される。だから、良いものを手に入れようと思えば、高価でしかも時間がかかるのは当たり前でしょう」と。
英国人(の彼)にとっては「ほんとうに良いものは、高価でしかも時間をかけ、苦労して手に入れるべきもの」というのが「あたり前の常識」なのだそうです。続けて彼は言います。
「アメリカ型自由資本主義経済社会(以下、アメリカ型資本主義社会と略述)の構造は、いつか必ず破綻する。なぜなら、それは、消費者も産業も、ともに際限なく自己の利益だけを追求するという、即ち双方が双方の利益を食い潰し合うという相反する矛盾を孕んでいるからだ。より良いものをより安くより早(速)く、という消費者の際限のない欲望・要求に対して、産業がそれに際限なく応じ続ければ、産業は必ず疲弊し、国家の産業構造そのものが消費者の要求の重みに耐え切れなくなって歪みをきたし、破綻・破滅するという事は目に見えているではないか」と。
アテネ在住のギリシア人の友人(30歳代後半の女性。弁護士兼大学講師)に、「日本では、残業をすることが当たり前のような風潮です。残業しないほうが珍しい。労働者のストライキなど、もう何十年もありません。それに、いまでは宅配業者が土・日・祝日も受け取り人の時間指定に応じて荷物を配達してくれる。また、24時間年中無休のコンビニエンスストアが街中のいたるところにあります」という話をすると、
「クレイジー。こちら(ギリシア)では、一般企業はもちろん、街の小さな商店や市営の交通機関や国鉄、そして裁判所までも、毎年何日間もストライキで閉鎖になるのよ。夜と休日にはしっかり休業するわ。それが民主主義社会での全ての労働者(公務員も含む)の根本の権利だと私たちは考えているわ。24時間年中無休なんて、気が狂っているわよ」
と言い、続けて、
「あなたたちは、いったい何のために働いているの? あなたたちの人生は何のためにあるの? あなたたちは働くためだけに生まれてきたの? あなたたちにとっての幸せは過酷な労働と際限のない消費だけなの? あなたたちは、自分の生涯のうちに与えられている限られた時間というものの大切さ、素晴らしさをわかっているの?」
との、矢継ぎ早の質問攻めにあい、答えに困りました。
金儲け(消費者にとっては蓄財と消費)だけを最大最高の価値観とする、今の日本社会の根本原理となっているアメリカ型資本主義社会の構造、この社会の価値観、この社会のありかたそのものが、西欧型社会民主主義経済社会(以下、ヨーロッパ型社民主義社会と略述)の、社会保障と利益配分をバランスよく統制された社会の中に生きている彼ら彼女らからみれば「クレイジーで、歪んでしまい、疲れきって、破綻している、過酷で狂った労働社会」とみえているのかもしれません。
私たちの日本社会には、もっと「余裕」が必要なのではないでしょうか。治安の悪化、政治家や官僚・経営者の使命感と責任感の欠如、モラルの低下、政界を揺るがす金銭トラブル、現役閣僚の自殺、偽装された粗悪商品の流通・・・。
すべては「金さえ儲かればそれで良し」という風潮。これらは、アメリカ型資本主義社会構造そのままの日本社会に、西欧諸国のような「余裕」がないことが根本原因となっているのではないでしょうか。そういえば、アメリカは世界一の凶悪犯罪大国であり、世界一の差別と格差の社会ですよね。
私たちは、アメリカを「自由と民主主義」の国だと思い込んでいます。しかしアメリカの「自由と民主主義」は、主として白人のためだけの「自由と民主主義」であって、多くの黒人や原住民の人たちは、いまだにその恩恵を充分には享受していません。差別と格差に苦しんでいます。そしてその白人のためだけの「自由と民主主義」も、その内実は世界最大の軍事力と強大な経済力(軍産複合構造、つまり、戦争をすればアメリカ国内の産業が儲かるという社会構造)の上に乗っかった、すなわち「カネと暴力」の上に乗っかった「自由と民主主義」なのです。アメリカ社会の構造はこのようなものなのです。
明治維新以降、戦前までは、日本は英国やドイツの社会規範に学んできました。それに、英語教育も英国式英語でした。それが戦後、全てがアメリカ一辺倒になってしまった。英語教育もアメリカ式の英語教育にすべてが変わってしまったのです。
いま日本で「英語」といえば、アメリカ式の粗野でルーズで俗っぽい歪んだ泥臭い発音の英語です(そのアメリカ式の汚く歪んだ発音の癖を、日本人は「流暢」だとバカげた勘違いをしている)。英国式の洗練された美しい「Queen's (King's) English」を教えている学校が、いまの日本にどのくらいあるでしょうか。現代日本人の習う英語が、アメリカ式一辺倒だというのは、嘆かわしい限りです。現在、世界で流通している英語の7割以上は、英国式英語だというのに。
閑話休題。
大きく視点をかえてみましょう。夕張市の財政破綻と東京都の一人勝ち。はたしてこれが「ひとつの国家」の体を成していると言えるのでしょうか。
どの地域に生まれても、国民としての平等な社会保障が受けられることを、国家が国民に保障することこそが、全ての国家の根本的な責任であるはずです。この国家の責任を明確にし、実行しているのが「大きな政府」であるヨーロッパ型社民主義社会なのです。
ヨーロッパ型社民主義社会の発想である「大きな政府」は、国民の(とくに社会保障の)権利を国家が責任を持って保障しています。アメリカ型資本主義社会の発想である「小さな政府」は、国民一人一人に対して「自分たちの権利は自分たちの力(金)で守れ。全てはおまえたちの自己責任だ。いちいち国に頼らないでくれ」という、無責任極まりない発想なのです。だから「小さな政府」では、ありとあらゆる場面で「格差」が生じるのです。
繰り返します。
アメリカは、世界一の犯罪と差別と格差の社会です。
そのアメリカの社会構造を、いまの日本政府は「理想」としているのです。「美しい国へ」と言いながら、「暴力とカネのチカラ」の上に乗っかっている醜悪なアメリカ社会を、いまの日本政府は「理想」としているのです。
人は、生まれてくる地域を選べません。今後、たまたま、夕張に生まれてくる子は不幸で、お金が余っている東京に生まれてくる子は、幸運だというのでしょうか。
再び繰り返します。
夕張が破綻し、東京にはお金が余っている。これで1つの国家だと言えるのでしょうか。
私たち日本社会は、このままひたすらに、ガムシャラに、全速力で「もっと良く、もっと安く、もっと早(速)く、もっと、もっと、もっと、もっと、もっとぉーっ・・・」と、アメリカ型資本主義社会の構造に引きずられ続け、そうしてボロボロになって、国家破滅への道を突き進んでしまっていいのでしょうか。
私たちの日本社会が、このままアメリカ型資本主義社会の構造に乗っかっていては、行き着くところは(たとえどんな大義名分・錦の御旗を振りかざそうとも、その本音は)金儲けのための戦争。自己の利益のためには他者を滅ぼし利益を奪う。という、絶対に犯してはならない最悪の罪を犯してしまう結果しか、残されていないのではないでしょうか。(了)
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