昨日(2007年12月19日)、移動中の電車内で、またステキな言葉に出逢いました!
「私たちは、権力をもっていません。権力をもっていないものが、きちんとした言葉で攻めたてていく。民主主義社会は言葉です。言葉でやっていく。そのことが非常に大事だということをいつも思っています。」
元読谷村長・参議院議員 山内徳信氏(社会民主党)の発言
出典:「平和行政の取り組み・憲法を実践する読谷村の挑戦」
『月刊 社会民主』 2007年12月号
私(鳥居)は、「民主主義国家とは、市民社会国家であり、その最高主権者は市民であり、私たち市民こそが、最大・最高の権力を保持している」という理念を持っていますので、この山内氏の「私たちは、権力をもっていません」という発言には賛同しかねますが、実際には、一市民が国家を動かすということは無理なので、現実的には「私たちは、権力をもっていません」ということができるのかもしれません。
しかしそのあとのくだりの、「民主主義社会は言葉です。言葉でやっていく」には、とても感動しました!
かつて、いまから2500年前に、古代ギリシア文明時代のアテネで民主政を完成した、「民主政の父」ペリクレス将軍が残した言葉「人類史上最高の演説」と讃えられているその名演説(戦没者追悼演説)のなかでも、彼は、
「私たちの発明した、この民主政は、神々の如くに輝き、永遠不滅でありましょう。そしてこの民主政による我らがアテーナイ(アテネ市の古称)の栄光は、今の時代のみならず、はるか遠き未来にまでも、世界の人々の賞讃を浴びることとなるでしょう」
と述べ、そのあとで、
「言葉によって述べるべきものを、私はいま、栄えある我らがアテーナイの市民諸君に、そして、こんにちの我らアテーナイの栄光の礎をより強固なものとなし得るために、その命をかけて戦い抜き、いまここに安らかに眠る、亡き者たちに奉げた」
と言い、最後に、
「徳に最高の栄誉を与える国には、徳が集まり、国が栄えるのです!」
とこの名演説を締めくくるのです。
ペリクレスの「言葉によって述べるべきもの」とは「民主政の理想と理念そのもの」だったわけです。彼は、しばしばアゴラ(公共広場)や、完成したばかりの、輝く白亜の大神殿パルテノンの前で、市民にむかって演説をしています。彼は、彼の「ことば」で「民主政とは何か」を市民に教え、市民に訴え、その政策の理念を実現して行ったのです。
そうしてアテネでは、いまから2500年も前に、市民は自由に文字を操り、市民議会(代議士制ではなく直接民主政)、市民選挙(直接選挙)、市民裁判(市民の投票による判決)、検察・警察・弁護士制度、国家の管理下での銀行の運営による貨幣経済での富の配分(国家の管理下での富の再配分)などなど。。。といった、現在でも「最も理想的な民主政」と言われている直接民主政が実現していたのです。日本では、このとき、縄文時代です。
さて、2001年8月に、私が、アムネスティ・インターナショナルに入会するきっかけとなった、ウエールズ在住の英国人の友人からのメールに、アムネスティについて紹介した、こんな「ことば」がありました。
「1961年。それは、たった1人のロンドン市民の呼びかけによってはじまりました。しかし、その1人の小さな想いが、少しずつ、しかし確実に、人から人へと、多くの人の間に共鳴し、時を経て、やがて巨大な国際世論のうねりを形成することとなり、いまや、現実に、具体的に人を動かし、国を動かし、世界を動かしてゆくことにつながっています。私たち1人1人の小さな想いと、私達1人1人の、その想いによる小さくても具体的な1つの行動が、 1つ1つの小さな成果として実を結び、それが1つ1つの希望の燈となって、人と人との間に伝わってゆき、その想いと希望が途絶えることなく未来に向かってずっとつながってゆくことで、やがて国を動かし、世界を動かしてゆくことができるのです。これが、たった1人のロンドンの市民の呼びかけからはじまって、いまや国連や欧州評議会の諮問機関となり、150カ国・180万人の規模を誇る国際組織へと発展してきた、アムネスティの活動の原点ともいうべき想いなのです 」
このメールの「ことば」に感動し、私はアムネスティのメンバーとなったわけです。
聖書の感動する数々の聖句も、神の「ことば」です。
イスラムの預言も、神の「ことば」です。
仏教経典も、ブッダの語った(とされる)「ことば」です。
日本神道の祝詞も、神に捧げる「ことば」です。
そしてギリシア神話でも、たとえば『オデュッセイアー』(英名オデッセイ)では、海神ポセイドンの神罰によって苦しめられていた、主人公のオデュッセウスは、自分の守護神である(智慧と正義の守護神・民主政の護り神である)アテーナー(アテナ)神に加護を祈ると、アテーナー神は、自分の父である最高神ゼウスに対して、ゼウスの兄弟であるポセイドンを「不正義」だと激しく非難し、そして「私は、オデュッセウスの守護神として、正義の守護神として、ポセイドンの下した神罰に対抗し、彼の神罰を打ち砕き、何がなんでもオデュッセウスを護りぬきます」と宣言します。するとゼウスは「おお、我が愛娘よ、そなたの美しい歯垣の内より、なんと力強くも美しく恐ろしい言葉が発せられたのか」と、アテーナー神の決意の「ことば」に心動かされて賛同します。
古代ギリシアの神話時代から「ことば」のチカラは信じられていたのです!
古今東西、時空を超えて、「ことば」のチカラは存在しているといえるでしょう。
例えば、裁判の法廷においても、証拠をもとに実証を示して行く事が最も重きをなしますが、しかし最後の決め手となるのは、やはり、裁判官に対する弁護士・検察官の「ことば」のチカラなのではないでしょうか?
人は「ことば」によって突き動かされるのです!
「民主主義社会は言葉です!」
さあ!
私たちも、私たちの世界を、世界のみんなが平和で幸福を享受できる世界へとしてゆくために、平和で幸福な世界を私たちの子孫に残すために、その歴史を確実に真っ直ぐつないでゆくために、1人1人が、チカラある「ことば」を発して、いまの、この、一部の人間の利権・利益のための戦争に明け暮れている不幸な世界を揺り動かし、「ことば」のチカラで打ち砕いて行こうではありませんか!(了)
(C)無断引用・無断転載不可。全ての記事の著作権は鳥居正宏にあり、日本国の著作権法及び国際条約によって保護されています。


