きょうから、新しい1年が動き出しました。
そこで、何を書こうかと色々と考えていたのですが、やはり「憲法」の話題にすることにしました。
「憲法」を『広辞苑』で引くと、
国家存立の基本的条件を定めた根本法。国の統治権、根本的な機関、作用の大原則を定めた基礎法で、通常他の法律・命令を以て変更することを許さない国の最高法規とされる。
との説明があります。
「通常他の法律・命令を以て変更することを許さない」とあるのです!
また、この憲法の存在意義は、以下の2つの意味をあわせ持っています。
1.国家権力の行使に枠を嵌めて、無秩序で恣意的な権利侵害が行われないようにする。
2.民定憲法の場合、国家に課せられた国民に対する義務を明確化すると同時に、国民の権利を明確化しこれを保障する。
そこで、我らが『日本国憲法』を見てみましょう。
日本国憲法は「民定憲法」です。よく「GHQから押し付けられたものだ」と言う人がいますが、少し歴史を調べれば、それは大間違いで、例えば終戦後、新憲法起草にあたっては、日本国民からの数次にわたる草案が提出されています。有名なものでは、鈴木安蔵らによる3次にわたる草案があり、この鈴木らの案のもととなったものには、さらに溯ること明治期に及んで、自由民権運動期に起こされた植木枝盛の「東洋大日本國國憲案」や、立志社による「日本國國憲按」などがあります。現・日本国憲法の条文は、これらの草案の影響を大きく受けているのです。草案そのままの条文もあります。GHQが関与(検閲)した事には違いありませんが、けっしてGHQから一方的に押し付けられたものではなく、日本人の草案を可能な限り最大限に活かした、日本人による「民定憲法」であることは歴とした事実です。
では、『日本国憲法』の前文を見てみましょう。
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日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成することを誓ふ。
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このように、前文の最後に「誓ふ」と述べて、以下に具体的条文に入ります。即ち、『日本国憲法』は、日本国という「国家の誓い」を述べた憲章なのです。
その証拠として、この『日本国憲法』発足後、初の内閣である、片山哲内閣の最初の施政方針演説で、片山哲首相(旧社会党)は、
「第一に申し上げたい点は、憲法に対する政府の信念であります。政府は新憲法を嚴に守りまして、その精神を生かすことに最も忠実であることをここに誓うものであります。(拍手)特に新憲法のもつておりまする民主主義の大精神、平和主義の大理想、これを政府は一切の政治行動の大目標として掲げたいと考えておるのであります。これを大膽明快に現実化いたしたいと考えておるのであります。」(出典:「1-衆-本会議-8号 昭和22年07月01日(国務大臣 片山哲 施政方針演説))
と、「政府は新憲法を嚴に守りまして、その精神を生かすことに最も忠実であることをここに誓うものであります」と述べています。
では、この憲法は、いったい誰に誓っているのか?
それは、『日本国憲法』は、民主主義国家における民定憲法である以上、国家の最高法規として、国家が国民にむかって誓っているのです。いくら政権が変わろうとも、「国家」が国民に誓っている以上、これを変更することはできません。政権は国家を運営する機能であり、国家そのものではありません。いくら政権が変わろうとも、「国家」は、厳として存在しているのです!
全ての条文は、国家が国民に誓っている、国家の国民に対する果たさなければならない「義務」なのです。
ですから、例えば
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第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
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これらはみな、国家の国民に対する「誓い」であり、国家が国民に対して果たすべき「義務」を述べた文なのです。
しかし、いま、現実に、この国家の国民に対する「誓い」「義務」が、国家を運営する政権(政府)がしっかりと護っているでしょうか?
護られていないものばかりではないですか!
第9条では、「国家」は私たち国民に「二度と戦争はしない。軍隊は持たない」と誓っているにもかかわらず、「現政府」は海外へ軍隊を派遣し、戦争に加担している。この政府の欺瞞、主権者たる国民をバカにしきった政府による国家と国民への裏切り行為に対して、私たちは声を上げ、政府の欺きを、市民運動や選挙によって合法的に徹底糾弾すべきが、「真の近代民主主義国家」における「市民社会の社会構成員」である私たち「市民の責務」ではないでしょうか。
いま、政府は、この『日本国憲法』という「国家」の国民に対するの誓いと義務を護ることができなくなったから、護る能力がなくなってきたから、護る気がしなくなってきたから、「改憲」と言い始めているのではないでしょうか?
「改憲」とは、上記の如く、まさに、「政府」が「国家の最高主権者」たる私たち国民・市民をナメきった、欺瞞に満ちた悪質極まりない詭弁です。
私たちは、騙されてはなりません。
最近「今の憲法は、もう時代に合わない」という言葉をよく耳にしますが、私は、歴史と社会学を専門に学んできた者として、それは大間違いであると思っています。私は「憲法が時代に合わなくなったのではなくて、時代が、社会が、憲法の精神に合わせようとしなくなった」と認識しています。よって、改めるべきは憲法ではなく、社会であるはずです。「憲法を改める」のではなく、社会を「憲法の精神に合致した社会」に変革してゆくべきではないでしょうか。
私たちの日本国憲法は、世界中、他に例を見ない「徹底した平和主義(非武装・戦争放棄)を根幹とした、人道主義・民主主義(主権在民)」の誇り高き憲章です。人類普遍の最も崇高なる理念を高らかに謳い上げた「世界で最も美しい」法典です。
私たち市民は、憲法によって国家が国民に誓い、その義務を果たすことを保障した各条文の定めを最大限に享受し、日々の生活を幸せなものへとしてゆかなければなりません。
すくなくとも、9条では、国家は国民に対して「二度と戦争はしない。軍隊は持たない」と誓ったのです。この誓いと義務を破るような政府を赦してはなりません。この誓いは、私たち1人1人の市民が、国家権力の下で人を殺さず、人に殺されずに、日々平和に、平安に生活できる事を保障しているものなのですから。
「憲法」とは、国家の最高法規であると同時に、私たち1人1人の市民が、平和に、平安に日常生活を送って行くために活用しなければならない「生きた法典」であると考えています。
私たちが日々日常の中で、憲法を活かしてこそ、憲法の真価が発揮されるのであり、その活用をやめたところで、憲法は死んでしまいます。そうすると「時代に合わなくなった」などの詭弁を述べ、「改憲」との欺瞞に満ちた言動を騙る者が生じて、ズタズタに破壊されてしまうのです。それは、憲法をズタズタに破壊されてしまうのではなくて、「私たち1人1人の日々の生活をズタズタに破壊されてしまう」ことになるのです。
私は、法律の専門家ではありません。憲法学者でもありません。憲法をめぐっては、様々な解釈があるでしょう。
しかし、私は、歴史社会学者として、いまの日本社会と『日本国憲法』の理念との乖離を見て、いま、なぜ「護憲」なのか!
という事に対しては、私は以上のような考え(信条)を抱いているのです。(了)
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