戦後の自殺者数は長年、ほぼ2万3000人前後で推移していたが、1998年に一気に8500人も増加して3万2863人となり、とうとう3万人を突破してしまった。この年以来、自殺者数は、10年連続で3万人を超えている。
【以上、社会民主党機関紙 『社会新報』 2008年7月9日号の第4面記事を参考にした。発行:社会民主党全国連合機関紙宣伝局】
年間3万人以上もの自殺者を出している我が国・・・。
異常ではないだろうか?
そもそも、民主主義国家とは、その構成員である全ての市民が幸福になるための約束(社会契約)によって成り立っているものではないのか。
その市民が、年間3万人以上も自殺をしているとは、もはや国家は機能していないと言えるのではないか。
政治とは、人々を幸せにするしくみである。政治家は、市民を幸せにする使命を担っている。
人々が希望を持ち、ささやかながらも幸福を享受し、多少の苦労にもめげずに、日々の人生を楽しんでいるとすれば、いったい誰が、自らの意志で死を選ぼうとするだろうか?
自殺は、市民に与えられた最後の究極の権利である。自らの死を選ぶ権利である。だから自殺は罪には問われない。
しかし、国家は、政府は、市民がその最後の権利を行使しないように最大限努めなければならないのではないのか?
最近、自殺未遂者の人たちへのケアや、自殺願望を持つ人たちへのカウンセリングなどが盛んに行われるようになり、一定の成果をあげている。これはとても良いことである。
しかし、私は、自殺未遂者等へのケアやカウンセリングの充実ということに対しては、その思考のベクトルに少々の違和感を覚える。
そもそも、自殺者を出さない、誰もが自殺願望を抱かない社会を構築することが、根本なのではないのか。これこそが、国家の義務であり、政治家の仕事なのではないのか。
国家がその義務を放棄し、多くの政治家がその仕事に対する使命感を失っているという「事実」が、年間3万人以上もの自殺者を出しているのではないのか。
繰り返す。
人々が希望を持ち、ささやかながらも幸福を享受し、多少の苦労にもめげずに、日々の人生を楽しんでいるとすれば、いったい誰が、自らの意志で死を選ぼうとするだろうか?
ケアやカウンセリングといった「絆創膏」的対応も、もちろん必要だが、もっと根本を見据え、事の真相を見つめるならば、この国の在り方、政治の在り方そのものを、考えなおさなければならないのではないか。
一握りの人間どもにだけ富を集中させ、彼らのご機嫌を伺い、社会的弱者を見殺しにすることが、政治家の仕事ではあるまい。本来の国家の姿ではあるまい。
全ての市民は、政治的・経済的において幸福を享受しなければならない。
政治家は、市民が自殺を選択しない国家を創らなければならない。
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