鳥居正宏のときどきLOGOS

EU宗教政策諮問委員会最高評議官、社会民主党党員、アムネスティ・インターナショナル会員の鳥居が、政治・社会・文化・国際問題などについて、時々に感じることを個人的に書き綴ります。 (C)無断転用・無断転載不可。全ての記事の著作権は鳥居正宏にあります。

死刑制度存廃国の現状
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【2007年度調べ】


法律上死刑を廃止している国・・・100カ国
事実上死刑を廃止している国・・・30カ国
2006年度中に死刑を執行した国・・・25カ国


◎経済先進国で死刑制度を保持している国・・・日本と米国のみ
◎EU加盟条件のなかには「死刑制度を保持していないこと」とある

(国際連合経済社会理事会の調査報告に拠る)
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みなさん。いっしょにすこし考えてみましょう。。。
死刑を受ける側の人も、まちがいなく、人の子です。


考えてみてください。 この世に生を受けた時点では、全ての人の命は、その重さ、その尊さ、その尊厳には、何ら差はなく、森羅万象全てに対して、絶対的な価値のある、平等不可侵の存在であるはずです。


その後、その人がどのような人生を歩むかによって、その時代時代の社会的な通念や価値観によって、または、国、地方、民族、地域的な事情等によって、相対的に、善悪などの価値判断が行われ、定められた「法」によって、あくまでも相対的に、その人の人生の歩み、そのプロセスが裁かれるわけです。


ですから、「法」は時代時代によって必ず変化するものであり、したがって、その「法」によって裁かれる人の罪の重さも、必ず、時代時代によって、または社会的状況や地域、国々によって、必ず変化(違い)のあるものです。


このことから、定められた「法」はけっして絶対的なものではなく、その時々の社会の価値観などによって、相対的に、歴史的に、必ず変化してゆく、極めて不安定な判断基準なのです。


それは、いま、この瞬間の現象だけを捉えていては、なかなか理解できないかもしれませんが、千年・二千年という、長い時間の単位で、「法」とそれによって裁かれる「罪」、その結果もたらされる「罰(ペナルティ)」というものを捉えれば、「法」が極めて相対的で不安定で、浮遊した価値観であることは、誰にでも、容易に理解できるものであると思います。


例えば戦国時代には、敵を殺すのは名誉でした。しかしいま、自分の敵を殺せば、どのような理由があるにせよ、それは間違いなく殺人罪です。でも、これまでの戦争では、大量殺戮をおこなってきた張本人である1人1人の兵士は、いまだに罪には問われていません。その手で強奪・略奪を繰り返し、数えきれない程の人間を強姦・暴行し、残虐卑劣きわまりない手段で惨殺しておきながら、それらの行為は、それをおこなった兵士「個人」に対しては、現在、その全てが国家によって免責され、なにひとつとして罪に問うていないのです(罪に問うことは不可能なのです)。


このように、その時々によって、同じ事をしても(結果的な事実として、例えば人を殺しても)、時代背景や国家の都合などの事情によっては、法によって裁かれたり、裁かれなかったりするのです。現在、法とは、このように事情によって(場当たり的に)都合よく免責をおこなうような、それほど曖昧な概念(価値観)なのです。このようなことは、歴史を学べば、容易に理解できるはずです。


しかし、だからといって「法」を軽視してはなりません。「法」は絶対的に遵守しなければならないものです。それは、現時点(歴史的な判断ではなく)では「法」は絶対的な善悪の判断基準であり、その「法」によって、社会の安寧秩序が維持されているという、歴とした現実があるからです。


しかし、歴史の流れという視点で観れば、上述のように、歴史という絶対的な時間軸に対しては、極めて曖昧で不安定で相対的な「法」に対して、絶対的に不偏不滅の存在・価値観が、生命の尊厳であるといえるでしょう。


考えてください。それは、千年前、二千年前、あるいは百万年前においても、そして千年先、二千年先、百万年先の未来においても、「生まれてくる命」の尊さには変わりはありません。変わりがあっては、ならないはずです。


そして、その生命の尊厳を絶対的に保障し、全ての人が、あまねく享受することのできる最も崇高なる理念、すなわち、この世で唯一、生命と人間存在そのものを、絶対的かつ平等に保障する権利、それが「人権」なのです。


人が生きる権利すなわち「人権」「生存権」は、人が生まれながらに授かっている天賦の権利であり、このような「生まれながらに授かっている権利」のことを「自然権」といいます。

そして、人類がその歴史のなかで、社会を構成して行くにつれて、その社会秩序を保つべく、いろいろな法律や権利が制定されます。このように、あとから制定された法律や権利を「社会権」といいます(この時、自然権は社会権の中に組み込まれるという学説もあります)。

そして、近代法の2つの根本原則は「権利を奪う権利はない(権利を奪う法は存在してはならない)」そして「社会権は自然権を侵害できない」という原則です。

この「自然権不可侵の原則」は、王権神授説を否定し、近代民主主義を形成する根本理念ともなっています。

ですから、近代法治国家、民主主義国家であるならば、いかなる法律も「人が生きる権利」を奪うことはできないのです。

それから、死刑制度は、犯罪の抑止力にはなりません。それは、死刑制度を維持しているアメリカこそが、世界一の凶悪犯罪大国であり、銃社会。すなわち「銃」という武器を用いてしか自らの安全を守れないようなところにまで、社会が腐敗・堕落し切ってしまっているのです。

その反面、死刑制度を持っていない欧州諸国では、治安が比較的安定し、凶悪犯罪も少ない。

すなわち、死刑制度というのは、近代法・民主主義に真っ向から反する制度であり、その制度自体は、犯罪の抑止力にはなっていない、何らの社会的意義も持っていない制度なのです。

何らの社会的意義も持たないこの死刑制度によって、「国家」が人を殺してしまうのは、未開の野蛮国家、非文明国家だといわざるを得ないでしょう。

死刑制度の維持は、このように法的根拠はなく、また社会的意義もなく、単なる国民の「感情」でしかないのです。

単なる感情論で、国家が国民を殺す法律を維持しているということは、やはり、その国家は、もはや近代法治国家ではなく、民主主義国家でもありません。

それは未開の野蛮な「民族のクニ」での「オキテ」程度のものか、もしくは国家そのものが「暴君」と化した、「恐怖政治」だといわざるを得ないでしょう。

死刑という「制度」については、上記のように、「国家論」「社会論」で論じなければなりません。単なる「感情論」だけにこだわっていては、わたしたちの社会は、まったく進歩はなく、真の近代法治国家、真の民主主義国家へと成長してゆくことはできないでしょう。

死刑制度は、近代法(近代民主主義国家における法制度)を構成する2つの根本原則に2つとも、真っ向から反しているのですから。

私も、もし私の肉親や友人が誰かに殺されたりしたら、その犯人を「この手で殺してやりたい」と間違いなくそう思うはずです。

しかし、その思いを「国家」が「法」によって代行してはいけません。法は、人間の感情をはるかに超えて、社会秩序維持(社会権の擁護)と人間存在の肯定(自然権の擁護)のために存在しているのですから。

法には、人間の感情をはるかに超えた「理性」が求められるのです。

私は、死刑廃止論者ですが、即刻廃止すべきだとの急進的な考えは持っていません。とりあえず、死刑の執行を停止して、みんなでじっくり考えてみましょう。EU諸国をお手本にして、10年か20年ぐらいかけて、国民で議論しましょう。その間、とりあえず死刑執行は停止しておきましょう。という考えを持っています。民主主義社会では、市民の同意がなによりも重要です。

また、私は、死刑を廃止するかわりに、何らかのてだては必要だと思っています。欧州のごとく終身刑を導入するか、または、無期懲役などという曖昧な刑罰も死刑と同時に廃止して、懲役50年とか70年などという実質的な長期の懲役刑を制定するか。

そして、死刑は「例外的には」残しても良いとも考えています。その「例外」というのは、国家の存亡にかかわるような重大犯罪(具体的には、国家機密を外国に売ったり、外国に戦争を仕掛けたり、逆に外国から戦争を仕掛けられるように仕向けたりした場合)。基本的には最高刑は終身刑(または長期の有期刑)として、国家の存亡にかかわるような、極めて重大な犯罪にのみ死刑を適用するというのも、ひとつの方法ではないでしょうか?


さて、「人権とはなんぞや」と定義づけるのはたいへん難しいと思いますが、私は、人権とは、


「人として生きること」
「人として生きようとすること」
「人として、明日も生きていたいと願うこと」


であると解釈しています。 そしてそれは、何人にも、どのような力にも侵されてはならない、不滅の天賦の権利であると、理解しています。


ですから、それを侵そうとする存在は、たとえどのようなものであっても、絶対に見過ごしてはならない、黙認してはならない、許してはならないと思います。生命の尊厳に対する冒涜は、許されてはならないはずです。


絶対的な価値観であり、不滅の天賦の権利である「人権」、言い替えれば「生命の尊厳」「生きる権利」を、たとえその生命の保持者が、どのような人生を歩んで来たとしても、どのような罪を侵したとしても、先にも述べたように、不安定な価値観である「法」なるもので裁き、国家権力によって、その尊厳を抹殺してしまう行為は、それはまさしく、生命に対する冒涜以外のなにものでもないと考えます。


罪を侵した者には、絶対にペナルティは必要です。懺悔と反省と贖罪と更正の機会は、強制的にでも、そして徹底して科さなければなりません。しかし、社会的な価値観によって相対的に存在する「法」によって、不偏不滅の絶対的価値観である「生命の尊厳」「命そのもの」を裁くことは絶対にできない、絶対にしてはならない筈です。


裁かれなければならないのは「罪」であり、裁かれる側の人が歩んできた「プロセス」であるはずです。どのような事があっても、私たちは絶対に「命」そのものを裁くことはできないはずです。


例外なく、人には、他人の命を裁く権利は、絶対に与えられていません。私たちに他の人の「命」を裁くだけの、資格が、どこにあるというのでしょうか?


人間として、私たち1人1人は、他人の命を裁き、それを奪うことができる程の存在なのでしょうか?


すなわち、立場を逆に捉えれば、私たち1人1人は、いつでも他人から、自由にその命を裁かれ、奪われる権利を、私たち自身によって「法」で定めているという事なのでしょうか?


「法」とは、私たちが私たちを護るために取り決めた、便宜上の「決まり」であるから、私たちに、人の命を裁き、奪うことができる資格(権利)がなければ、すなわち、私たちに、人から命を裁かれ、奪われることを保障するような資格(権利)がなければ、そのような「法(死刑制度を規定した法)」が存在する事じたいが、矛盾であり、それは私たちの自身の生命そのものの存在価値を全否定しているものであり、すなわちその「法」そのものの存在じたいが、私たちにとっては究極の愚行であり、自殺行為そのものであると言えます。


原始人や未開人の集団での「オキテ」ならいざ知らず、近代法治国家・近代民主主義国家においては、その国家の「法」、すなわち私たち1人1人の総意によって民主的に取り決められたはずの「法」が、それを取り決めたはずの主体者である、私たちの命を裁き、奪い去るという自己矛盾を孕んでいることは、何ともおかしな現象であり、そのような「法」を擁する国家は、真の近代法治国家・真の近代民主主義国家とは言えません。


死刑制度を廃止した国々、とくに古くから民主主義が成熟してきた欧州の諸国は、そのことに気がついたのです。


私たち人間は、絶対に、命そのものを裁いては、なりません!


人が定めた法によって、人の命を裁く行為は、私たち自身が、私たち自身の生命の尊厳を犯していることであり、それは生命に対する明らかなる冒涜行為であり、まさしく自らの存在そのものをも全否定する行為であり、すなわち、それは天に唾するに等しい行為であるのです。


「法」の理想は、「正義」の実現でありましょう。しかし、いかなる状況にあっても、いかなる理由があっても、その「正義」という名のもとにおいて人の命を奪い去る行為は、「正義」に名を借りた「悪」の行為そのものであり、それは「正義」の名を借りていることによって、「正義」に対する冒涜以外の何ものでもなく、そこには真実の「正義」のひとかけらも存在し得ないのです。


何びとにも与えられている、天賦の権利、


「人として生きること」
「人として生きようとすること」
「人として、明日も生きていたいと願うこと」


死刑は、その人権を侵害する、残虐・卑劣な制度です。
最も深刻な「人権侵害」です。


もし、死刑が執行されてしまってから、それが冤罪だったとわかって、あとから真犯人が出てきた場合に、国家はどうつぐなうのでしょうか?


何億・何兆というお金を積んだところで、いちど国家がその強大なる国家権力によって奪い去った命は戻りません。「まちがいでした」では済みません!


米国では、1976年以来処刑された1000人以上の人の中で冤罪によって死刑が執行され、あとから真犯人が見つかった例が少なくとも8件はあるという、米国の人権団体(Death Penalty Information Center)による、国連へ提出された信頼できる調査報告があります。その報告はきわめて正確なもので、国連経済社会理事会の資料となっています。


ですから私は、日本においても、あと10年か20年くらいの間論議を尽くした上で(その間は、とりあえず死刑の執行は中止しておいて)、我が国も欧州諸国のように「真の近代法治国家として」成長することによって、死刑制度の廃止を願い、そして生命そのものを裁くことのない、死刑にかわる終身刑もしくは長期の有期刑などの導入を強く支持します。



欧州連合(EU)宗教政策諮問委員会/Y.S.E.E. 最高評議官
鳥居正宏


(C)無断引用・無断転載不可。全ての記事の著作権は鳥居正宏にあり、日本国の著作権法及び国際条約によって保護されています。



テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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コメント

こんにちは。
こう論ぜられているのを読むと、死刑制度にとどまらず、軍隊・軍人に対する鳥居さんの視線が理解できる気がします。「人を殺す」という現象・行為に、私たちは馴らされすぎてるのかも知れませんね。

コメントありがつございます!


仲@ukiuki さま
鳥居でございます。
コメントをありがとうございます。

今回は、死刑制度について、思いの限りを綴ってみました。

おっしゃるとおり、私は、死刑にしても、戦争(軍人・軍隊の存在)にしても、「他者の生命を奪う」という行為は、「いのち」そのものに対する全否定であって、生命そのものへの冒涜だと思っています。そしてそれは、じつは自己の生命をも否定していることに、そのままつながっているのだと思います。

アメリカ型資本主義社会のなかで、「金もうけ」のことばかりを考えていて、「かけがえのない命」という大切な「心」を、現代日本人やアメリカ人は見失っているのかもしれませんね。

  • 2007/08/25(土) 03:09:55 |
  • URL |
  • 鳥居正宏 #h0j/NQls
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日本が米国を模範にしている限り、死刑制度はなくならないでしょう
その結果、格差社会が横行して、理由なき凶悪な殺人などが増えていますね
悪政が続けば、治安が乱れるのも事実ですし、死刑制度がないと社会そのものが成り立たないという現実があるのではないでしょうか!?
日本の刑法の問題は、死刑になる前の刑罰が緩いということでしょうか!?
善政であれば、治安が乱れることもないだろうし、死刑まで持っていく必要性も自然となくなるでしょう
最高刑を恩赦なしの無期懲役にしないと、殺された遺族にとって、引き合わないような気がしますが・・・
この国が欧州を模範にしない限り、死刑制度廃止はなかなか難しいのではないでしょうか!?




  • 2007/08/25(土) 10:39:47 |
  • URL |
  • うずら #-
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終身刑の導入を!


うずら様
こんにちは。
鳥居でございます。

米国でも、州によっては死刑を廃止し、終身刑を導入している州があります(主に合衆国北部)。

また、米国議会でも、全米で死刑の廃止をしようという議員たちの動きが昔からあるようです。

日本では、自民党時代からいまでも亀井静香さんらが中心となって、党派を超えて「死刑廃止議員連盟」がありますし、社民党は党是として、死刑の廃止を明確にしています。

日本でも、欧州のように終身刑(冤罪だと判明しない限りは死ぬまで出所できない刑罰)の導入を考えればいいのではと思います。

現行の無期懲役は、必ずといっていいほど「模範囚」を演じていれば数年から十数年で出所できるので、無期懲役と死刑との刑罰の差が余りにもありすぎます。

ただ、死刑よりも(死ぬまで刑務所暮らしの)終身刑のほうが残酷だという意見も少なからずありますが、私は、家族にも誰にも一切知らせず、最後の面会もなく、本人にも執行の数十分前までは、一切何も知らせなくて、そしていきなり国家権力で、その人の生きる権利を有無を言わさず奪い去る死刑のほうが、よほど残酷だと思っています。

  • 2007/08/25(土) 11:22:40 |
  • URL |
  • 鳥居正宏 #h0j/NQls
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死刑の意義

最近は鳥居さんのブログを見るのが日課になってしまいました。^^

そもそも死刑をする意味って何なのでしょう?
遺族の気持ちに配慮するため?
犯罪の抑止力のため?
どちらも現在では有効に働いてない気がしています。
人が人の命を奪い行為であることに変わりないし。

と思いながらも、日々起きる残虐な事件を見ると、どうしても極刑を望みたくなるという自己矛盾。

なにかうまい方法はないものでしょうか?


先日は失礼なコメントを送ってしまい申し訳ありませんでした。
きちんと載せていただいた鳥居さんの人柄の深さに感謝いたします。
勉強不足な私ですが、これからも宜しくお願いいたします。

  • 2007/08/27(月) 09:11:49 |
  • URL |
  • マイク #RR9OddmU
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被害者感情と社会感情


マイクさま
こんにちは。
鳥居でございます。
いつも見に来ていただき、ありがとうございます。

先日の件は、気になさらないでください。マイクさまのおっしゃっていた通り、私は「事実」からは離れて、相手の「言葉の意味するもの」を厳しく指摘していたわけで、マイクさまの指摘は的を射たものでした。ご指摘に感謝しています。

さて、本題。
私は、国際アムネスティのメンバーの一員として、数年前ですが、日本の中部地域で、弟さんが、会社の同僚に保険金目当てで殺された、そのお兄さんから、直接に「被害者遺族」としてのお話しを聞くことができました。

そのお兄さんは、やはり犯人が捕まったときには、「大切な弟を殺しやがって、死刑になってしまえ!」と思われたそうです。しかし日にちがたつにつれ、刑事裁判が進行してゆくにつれて、気持ちが変わっていったそうです。

それは、犯人に対して、「この人には、一生かけて償ってほしい。無期懲役で出所してからも、自分の犯した罪の重さを、死ぬまで味わい、命尽きるまで懺悔しなければならない十字架を背負ってもらわなければ、死んだ弟は浮かばれない。弟が死んだ意味がない」と思うようになったそうです。

しかし、その犯人は死刑になりました。

そのお兄さんは、犯人が死刑になった事を知って、「ああ、これで何もかもが終わってしまった。でも殺された弟は帰ってこない。弟のために償うべき人間をも、私は国に殺されてしまった。とうとう、なんにもなくなってしまった。兄として、これで全てを失ってしまった。犯人には、自身の命が尽きるまで、一生かけて弟のために懺悔してほしかった。死刑にはなってほしくなかった。犯人には、弟の分まで生きて懺悔し、悔い改めてほしかった」という、空しさと絶望感を感じたそうです。

いま、そのお兄さんは、死刑廃止運動をされています。また、犯罪被害者擁護のための制度を、もっともっと充実させなければならないとも訴えておられます。

残虐な事件をニュースや新聞で見ると、「こんなヤツ、死刑にしてしまえ」と思うのは「日本人」としては、自然な「社会感情」でしょう。でもそれは必ずしも「被害者感情」ではないのです。あくまでも、第三者からみた(被害者の気持ちになったと勝手に思い込んでいる、第三者の)「社会感情」なのです。

ではなぜ、このような社会感情が日本にはあるのかというと、とくに日本は、鎌倉時代以降から、事実上「敵討ち」が合法化されていた約800年以上もの間(それ以前の平安時代には、仏教思想の「殺生を禁ずる」が徹底していて、死刑も敵討ちも法律で禁止されていた)、ずっと持ち続けていた日本人の感情が、明治以降、今日までの、たった百数十年で抜けるわけはないですよね。

他の死刑存置国家の事情も少しみてみましょう。

中国では、毎年数千人規模(国連経済社会理事会が把握しているだけで、毎年1800人前後。実数はその2〜3倍といわれている)で死刑(ときには公開処刑)が行われています。中国は(北朝鮮もですが)、共産主義独裁国家で、近代民主的な法治国家ではないので、厳罰と暴力によって人民の行為を抑圧しているのです。その他にも、中国では、国連職員やアムネスティ調査団の調べで、少数民族の村々にロケットを撃ち込んで全滅させたり、村人たちを(陰に隠れて)背後から銃撃したりと、少数民族への虐殺を日常的に行っているもようで、国際アムネスティは、「このような悪辣きわまりない人権侵害国家にオリンピックを開催する資格があるのか」と異例の厳しさで、中国を批判しています(国連経済社会理事会および国際アムネスティ資料番号:ASA 17/037/2007)。つまり中国は、法治国家ではないので、人民は「ルール」というものを知らない。だから、厳罰と暴力のいわゆる恐怖政治によって国を治めているのです。

ちなみに韓国は1998年以降、死刑執行を停止しており、議会で廃止が論じられ続けています。

あと、アフリカ地域で死刑が行われているのは、いまだに因習的なムラの「オキテ」が生きているのと、イスラムの「目には目を」の教えがあるからだと考えます。

以上が、実際に死刑廃止運動にも少なからずかかわってきた(私は国際刑事裁判所推進活動をメインにしているのですが)国際アムネスティの一員として、被害者遺族のお兄さんから直接にインタビューをした経験と、私が学んできた歴史社会学上での分析をあわせて、述べたつもりです。いかがでしょうか?

ポイントは「被害者感情」と「社会感情」は必ずしも同じとは限らない。どちらにしても、その「感情論」だけに流されて、人の命を左右してはいけない。それに日本の社会感情は、まだ800年前から持ち続けている「敵討ち」の感覚から抜け出せていない。ということです。

他の死刑存置国では、中国や北朝鮮は、近代法治国家ではなくて共産主義独裁国家で、厳罰と暴力による恐怖政治を行っている。

またアフリカ諸国では、イスラムの影響が強かったり、古くからの因習が生きているという状況があるのですね。

あくまで、私が資料をもとに調べた範囲での私論ですが、ご理解いただけたでしょうか?

最後に、死刑制度を存置しているアメリカが、銃社会であり、世界一の凶悪犯罪大国で、死刑を廃止した西欧諸国は、けっしてそうではない。ということから、死刑制度は犯罪の抑止力には全くなっていない。という「事実」を知ることができますね。

長くなってしまいました。
ごめんなさい。

  • 2007/08/27(月) 10:42:52 |
  • URL |
  • 鳥居正宏 #h0j/NQls
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DHさまへ


DHさま
鳥居でございます。
コメントのご投稿をありがとうございます。

ただ、DHさまのコメントのご投稿文中に、被害者遺族であるお兄様の実名が記されておりましたので、誠に申し訳ございませんが、ご投稿いただきましたコメントを削除させていただきました。ご了承ください。

この被害者遺族のお兄様は、死刑廃止運動をされているなかで、死刑制度を肯定される方々から、いろいろな嫌がらせや脅迫を受けておられます。それで、私はあえて、その実名を下記のマイクさまへのお返事の文中に記しませんでした。その旨をご理解いただきたく、お願い申し上げます。

なお、韓国については、制度上は存置しておりますが、1998年以降は執行を停止しており、議会で廃止が論じられ続けております。申し訳ございませんでした。その他、DHさまからご指摘いただきました部分につきましては、マイクさまへのお返事に反映させていただきました。

せっかくご投稿いただきながら、掲載させていただくことができなく、申し訳けございません。
ご了承ください。

  • 2007/08/27(月) 19:45:17 |
  • URL |
  • 鳥居正宏 #h0j/NQls
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鳥居様

拙コメント削除について:

仰るように、確かにこの場合実名表記にする必要は無かったと思います。その点は反省し撤回します。申し訳ありませんでした。

ただ、実名を掲載することが不適切であると御判断されたのであれば、その部分のみを削除して拙コメントを掲載していただければよろしかったのではないでしょうか。

「マイクさまへのお返事に反映させていただきました」とのことですが、拙コメントはその「お返事」を拝読した上で書き込んでおります。これではあたかもDHが嫌がらせを意図して実名を晒したようにも受け取れます。
それとも、実名を記載したこと以外に何か不都合な内容が含まれていたのですか。

全文削除には納得しかねます。

  • 2007/08/27(月) 21:01:15 |
  • URL |
  • DH #-
  • [編集]

DHさまへ


DHさま
鳥居でございます。

私は、管理者ではありますが、みなさまのご投稿されたコメントについては、けっして、編集しない事を旨としてります。管理者権限で編集すると、それは、まるで検閲行為になってしまうからです。

ですから、みなさまに例外なく、ご投稿いただいたコメントは、そのまま全文掲載するか、もしくは全文削除させていただくかの、どちらかにしております。

DHさまが、嫌がらせで実名を記しておられたのではないことは、その文面から、充分に存じております。ですから、DHさまのご投稿を削除させていただいた旨を明記させていただき、ご指摘いただいた部分については、訂正をさせていただきました。

過去に1度、たいへんな嫌がらせの投稿(公序良俗に反するような残酷な文)がありましたが、その場合には、私は有無を言わさず、即刻削除し、削除した旨も明記せずに黙殺しております。

どうか、ご理解のうえ、お許しください。

  • 2007/08/27(月) 22:07:15 |
  • URL |
  • 鳥居正宏 #h0j/NQls
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最近の犯罪動向をみてみると、ネットで見ず知らずの人達が集まって、無差別殺人・強盗をしているみたいですね
恩赦なしの無期懲役がないために、どうしても、殺された遺族の感情から考えても、やりきれないですね
反省のかけらもない被告達に対して、再犯防止の意味も兼ねて、死刑制度もやむを得ないのではないでしょうか!?

  • 2007/08/29(水) 07:52:21 |
  • URL |
  • うずら #-
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お気持ち、よくわかります。


うずらさま。
おはようございます。
鳥居です。

うずらさまのお気持ちは、社会感情(うずらさまが被害者ではないので「被害者感情」だとは言えない)としては、とてもよくわかります。

私自身、うずらさまとほぼ同様の感情は持っていますよ。

ただ、その「感情」論だけで、(残虐非道な殺人犯だったとしても)、その「人間の命」を奪ってもいいのでしょうか?

「こんなヤツ、殺してしまえ」で、実際に国家が殺してしまってもいいのでしょうか?

やはり、私は、1人でも殺せば、冤罪だと判明しない限りは一生出所できない「終身刑」の導入を急がなくてはいけないと思います。

国によったら、終身刑と死刑と両方ある国もあります。

例えば、日本でも通常犯罪の場合は終身刑。国家機密を売ったり、国家元首を暗殺したり、相手国から戦争をしかけられるように仕向けたりした場合のような、国家の存亡にかかわる犯罪の場合には死刑などと、日本も「過渡期」として、死刑と終身刑とを併用する時期があってもいいのではないかとも思います(その裁量の範囲が議論となるでしょうが)。

なかには、即刻死刑廃止を唱える先鋭的な人権団体さんや運動家さんたちもおられますが、私は、それは実際には無理だと思っています。あと十数年は、真剣に、かつ市民への公開の場で、議論をし尽くすべきではないかと思っています。まず、国家の主権者たる市民が納得しなければいけませんよね。

  • 2007/08/29(水) 08:47:25 |
  • URL |
  • 鳥居正宏 #h0j/NQls
  • [編集]

ご無沙汰いたしておりました

怒りを覚えないとなかなか筆が進まない悪い癖があるようで、杉浦先生のブログに怒りの(コメントに対してです)コメントばかりしていました。
その節(あの方の件)はわざわざお知らせくださりありがとうございました。少し、彼のコメントを楽しんでいた部分もありました。論点のズレには引っ掛かっていましたが、、、
死刑の残酷さについて。
死刑囚は、拘置所に収容されてその時を待たされるのですよね。平日の朝は執行のお告げが来る可能性があるでしょうから、きっとその時刻が過ぎるまでは生きた心地がしないと思いますよ。これも報いなのかも知れませんが、残酷だと思います。
最も残酷な刑は、死刑判決を出して、いつまでも執行をしないことかも知れませんね。
終身刑が最高刑の場合、刑務所内でその囚人は恐いものなしになりますね。たとえ殺人をしようがそれ以上の刑がないのですから。その時のためにだけ、死刑は必要ではないのか?とも、考えているのです。
ただ、身内をわけもなく惨殺された時、私は犯人に「死刑執行」を望むのか?「死刑判決のみ」を望むのか?「一生償わせること」を望むのか?と問われたら、前の二つのどちらかしか選ばない気がします。復讐心があり、感情が理性に勝つ気がしてなりません。。。

  • 2007/10/09(火) 00:41:27 |
  • URL |
  • TOJC #YD14tAto
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お気持ちはわかります。

TOJCさま。
鳥居でございます。
コメントをありがとうございます。

TOJCさまのお気持ち(感情)は、とてもよく解ります。私だって、自分の親兄弟を殺されたとしたら、間違いなく「この手で犯人を殺してやりたい」という感情は抱くはずです。その感情は、人間として、とくに明治以前の800年間以上もの昔から「敵討ち」を合法化してきた日本人のDNAというか、感情の襞の奥底に、そのような「復讐心」は刻み込まれているのだと思います。これも日本人としての、ひとつのアイデンティティですね。

しかし、その感情論だけで、復讐心だけで、国家が国家権力によって、国民を殺してもいいのでしょうか?

裁くべきはその人の犯した「罪」であって、その人の「命」ではないはずです。

「人権」いいかえれば「人として生きる権利」は、自然権です。この自然権は全ての権利に優越するという理念が、近代法治国家の根本理念なのです。

そして全ての法の根本精神は「権利を奪う権利は存在しない」です。ですから人には「人として生きる権利」を奪うことはできないのです。近代法治国家であるならば。

経済先進国で、死刑制度を有している国は、日本とアメリカだけです。アメリカは世界一の凶悪犯罪大国であり銃社会です。死刑を廃止している西欧諸国の治安は安定しています。

このことから、死刑制度は、犯罪の抑止力にはなっていない。という事実が立証できます。

そして、アメリカ人は、もともとは欧州での中・下層階級の人たちで、欧州の伝統と理性と秩序に馴染めなかった人たちが新世界を築いたという歴史をもっているので、なかなか「理性」や「秩序」「法治」という精神的なブレーキの利きにくい気質(アイデンティティ)をもっているのです。

要するに彼らは「暴力」という力に頼ることしか自己を制することができない。それしか知らない。だからアメリカ人はその自分の論理を他者にも押し付ける。だから戦争になってしまうのです。全てを暴力で解決しようとする。アメリカ人を歴史社会学的に考察すれば、こういう仮説が成り立つのです。

アメリカ人という市民の全体像としての精神性、そしてアメリカの市民社会が、まだまだ未成熟のままなのに、経済的・軍事的には世界一の大国となってしまったところに、悪の元凶たる、暴力の連鎖・憎しみの連鎖・報復の連鎖のスパイラルが生じてしまっているのではないかと思います。

要は、死刑制度も、戦争も、人間の醜い報復と復讐の感情を国家が強大な国家権力を用いて実行してしまっている。というところで、根本は繋がっているのです。

ですから、アムネスティ・インターナショナルは、戦争と死刑制度は究極の2大人権侵害だと位置づけているのです。国家が自国民や他国民の「人として生きる権利」を奪うのですから!

ですから、近代法治国家の市民であるならば、いかなる激しい報復感情を抱いていようとも、その裁きは近代法に委ねなければいけないし、「法」というものは、市民感情だけで取り決められてはいけない。そして自然権は絶対に犯してはならない権利なのです。

死刑制度を持っている国は、上記のような「自然権を侵害しない近代法による国家の統治」という観点でみれば、近代法治国家だとは言えないでしょう。

ですから、アメリカも日本も、経済先進国ではあるが、近代法治国家とはいえません。報復と復讐という暴力によって支配されている前近代的な国家というしかないでしょう。残念ながら。。。

なお、アメリカ市民のアイデンティティについては、それがいかに未成熟で幼稚なものであるのかは、拙ブログの記事『「祈り」と「憎しみの報復」 −自己矛盾を孕んだ9.11の狂気−』と、そのコメント欄をご参照ください。とくにコメントでのやり取りが重要だと思っています。
http://tokidokilogos.blog109.fc2.com/blog-entry-30.html

長々とすみませんでした。
また、立ち寄ってください。
貴重なコメントをありがとうございました!

  • 2007/10/09(火) 02:07:01 |
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  • 鳥居正宏 #h0j/NQls
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